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070203 公園ベンチの不思議

 先日、不思議なものを見つけた。
場所は上野公園の大噴水のある周囲だ。
当日はその界隈を散策していてベンチで一休みと、辺りを見回すと立派なベンチがきれいにきちんと整備されて並んでいる。
近寄ってみると・・・ややっ!・・・壊れているのか?・・・と思わせるものなのだ。しかも隣りもそれと同じで、さらにその隣りも・・・そう、全てが同じ形をしていてずらりと並んでいるのだ。

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 よくあちこちの公園内で、ホームレスの人達に占拠されないようにとの配慮か?横になって寝られないように工夫されているものをよく見うける。
 例えば一人毎の座席を並べて据付け、その間に座ると居心地が悪いようにするという(悪意を込めた?)工夫とか、物理的に不可能なように座席各々に個々の手摺を据え付け、連続して使用するには不可能なように劇場の指定席状態にしたもの、いろいろな形で工夫がなされている。

photo

(や)撮影:06/01/27

 しかしこの左の写真のように座面が前に15度ぐらい傾いているというのはどういうことだろう。 一つぐらい壊れていてそのようになったということなら充分ありうることだが、それが全て同じ形とは意図的にしてあるとしか考えられない。 案の定、このベンチに座ってみると両足はつねに地面につけて踏ん張っていないと前にずり落ちてしまうのだ。 そう!拷問ベンチなのだ。

 このベンチの設計者はいろいろ考えてのことなのだろう。常日頃、不法占拠されているベンチに不平をもっている市民からの苦情に音を上げた担当者が苦肉の策でひねり出した超ウルトラ技というところだろうか。
しかしよく考えて欲しいことだが、誰にも使いにくいものを作ることを認めていいものだろうか。これなら何も作らない方がはるかに良いことだと思うのだが・・・

さて、ベンチで横になるということ とは良くないことなのだろうか。 季候の良いときに横になって本を読むも良し、跨いで向かい合って将棋をするも良し、ピクニックバスケットを拡げるテーブルにも、赤ちゃんのおむつ換えにも、荷物を持ち替える一時置場にも・・・・いろんな使い方が思いついてくる。 いや、本来そういうものであったはずだ。
ここで問題にしなければならないことは「使う側に悪意があった」ということなのに、問題をすり替えて「使えないものを創りだしてしまった」ということだ。
そしてさらなる問題は、この理不尽を皆が黙認しているということではないだろうか。

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社会のシステムやインフラに関わる企画者・設計者はそれを実際に利用する個人の行動を自ずと規制してしまう。 言葉を換えて云えば、ある種の権力を振るってしまうと云うことだ。

デザインすることとは何か? 設計に携わるものにとっては常に考慮していなければならないことであろう。
反面教師の教材として記憶しておきたい。


2007.02.03(やま)


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