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last update : 191025 最近のスケッチ (まだ未整理のものです) 更新がなかなか進みません台風一過の快晴!今回の「令和元年台風第19号」は関東地方直撃で多くの被害をもたらした。 10月12日(土)は朝から報道が騒がしい・・・気象台観測以来の最大級台風が関東地方を直撃、上陸だという。そのため鉄道を初めとする交通機関は朝から運行取りやめ。大雨土砂災害の警戒でテレビ・ラジオが慌ただしい。そして東京には夜中に上陸したが真夜中になるとピタリと雨も風も止み・・・なんだこれは? ![]() 神田明神の楼門(随神門) 2019.10.13 鉛筆・パステル 東京は江戸の時代から水害との戦いの都。我が家の近くを流れる妙正寺川・神田川はちょっと雨が降ると溢れ、冠水することが度々の地域だった。それが最近の土木事業の成果でか?溢れることがない!今回の強烈な台風でも普段と変わらぬ川の流れであった。この環境が都心の人々の自然に対する感覚を鈍くさせているのではないだろうか? ![]() 神田明神の本殿 2019.10.13 鉛筆・パステル 「日本一」とうたうスケッチ会のこと、参加者は都心の方々だけではない。当然スケッチ会は中止だ。 関連記事:きまぐれスケッチ「HP」>きまぐれ「街」>駿河台>神田明神 万歩計17,000歩のご褒美!希な大型台風が関東地方に直撃すると連日の報道アナウンス。その前触れか久方の快晴。この日は朝から合唱練習、夜の練習までタップリある時間を有効利用して入間川伝いで一駅分歩いた。 ![]() 飯能河原渓谷の断崖絶壁に建つブルワリーレストラン 2019.10.10 鉛筆・パステル 時々練習場となる飯能市東南端の公民館から飯能河原までは直線距離にして4Km程? 迂回して流れる入間川に沿って歩くからその倍はあろうか。
このビールの店の案内は以下の通り ペールモルトのしっかりしたボディを感じさせる芳醇な味わいに、エジプト産ライムピールが爽やかに香るエールタイプのビールです。 軽井沢の大賀ホール![]() 曇天の大賀ホール 2019.07.29 鉛筆・水彩
![]() 快晴の大賀ホール 2019.07.30 鉛筆・水彩
今回の軽井沢行きはいろいろな手違い(たんなる寝坊)があったので昼前の軽井沢駅で時間がタップリ・・・さあどうしよう・・・ 飯能河原の春この日は午前中一杯、合唱講習会の行われる日。 ![]() 2019.07.30 鉛筆・パステル ![]() 2019.07.30 鉛筆・パステル 奈良・京都・・・ヒョッとしたら半世紀ぶり? の訪問箱根の山は天下の劔・・・で、スケッチブックもなかなか越えられなかった(^_^) 奈良・東大寺の正倉院東大寺は有名だし、観光客で一杯! 避けるように裏(奥)に進む。 ![]() 正倉院 2019.03.29 鉛筆・パステル ログハウスに興味があり、以前から一度は目にしてみたかった建物。正面からの遠望だが我慢がまん。 ![]() 正倉院 2019.03.29 鉛筆・透明水彩 外観だけで構造が全て把握できた!それほど明快な構造だということ! ![]() 正倉院 2019.03.29 鉛筆 傍らの説明板による寸法を書き込む。 東大寺の奥に更に進む。![]() 東大寺を振り返る 2019.03.29 鉛筆・パステル 三笠山に連なる傾斜地を登る・・・・傍らに献花された墓石が・・・ ![]() 見えてきた三笠山! 2019.03.29 鉛筆・パステル 山腹の寺は二月堂・・・ ![]() 2019.03.29 鉛筆・透明水彩 垣根が邪魔なので、取り除いてもう一枚・・・ ![]() 2019.03.29 鉛筆・パステル 二月堂を正面にして腰を据える。 ![]() 2019.03.29 鉛筆・透明水彩 水彩で再チャレンジ! この調子ではここだけで一日が終わってしまう・・・ あとで知ったことだが、この気持ちのいい道は「二月堂裏参道」というらしい・・・ 二月堂二月堂の長い階段の回廊につながる建物(二月堂参籠所)を通り抜けて見上げると・・・ ![]() 2019.03.29 鉛筆・パステル 二月堂の篝火をかざして走り廻るおなじみのシーンは夜のこと。昼間に見上げるこの場所からは建物を天空に持ち上げる床下の木組みがダイナミックで見事! ![]() 2019.03.29 鉛筆・透明水彩 斜面は入口の参籠所(さんろうじょ)に迫り、狭い隙間に背を建物に腰を下ろして一枚。 法華堂 (三月堂)二月・三月という名称が不思議で調べてみたら、毎年行われる修二会が、旧暦二月に行われる二月堂、それに対して三月におこなわれるこの法華堂が三月堂と呼ばれる理由とか。 ![]() 二月堂と並ぶ三月堂 2019.03.29 鉛筆・パステル ここまで来てこの境内全て東大寺だと知り、いかに大きな寺なのか!足の疲れで体感した。 法華堂経庫![]() 背景は法華堂(三月堂) 2019.03.29 鉛筆・パステル 丸太組構造に興味があり、思わずこの小屋に注目! ![]() 2019.03.29 鉛筆・パステル 正倉院の倉と違って間近に見られて詳細がよく把握できるのがうれしい! 三笠山別名「若草山」ともよばれるが、どちらが正式名称かはわからない。 ![]() 2019.03.29 鉛筆・パステル 街中の鹿の後片付けに忙しい市の職員を見ると、鹿にとっての居場所はどこ?と思っていた。それがこの周辺なのだろうか? ![]() 2019.03.29 鉛筆・パステル 生き物はポーズをとってくれないから・・・描くのが難しい。 馬酔木のこと三笠山から東大寺に戻る道すがら、刈り込みされず自由奔放に育ち、枝もたわわに花を付けた姿が目につく「馬酔木」! どうしてこんなにあるの? ![]() 興福寺・中金堂を背に夕陽を浴びる馬酔木 2019.03.29 鉛筆・水彩 馬酔木(あせび・あしび)は毒を持つそうで、動物はその事を御存知。当然この地の鹿も餌としては避けてその他の植物は喰い漁る。必然的にこの馬酔木だけは伸び放題ということのようだ。 興福寺この寺はなつかしい・・・はるか半世紀、否それ以上の年月が経っての再訪である! ![]() 猿沢池と興福寺 2019.03.30 鉛筆・水彩 懐かしいというわけは中学生時代の修学旅行に来てからだということが理由。 ![]() 興福寺への大階段 2019.03.30 鉛筆・水彩 当時の旅館を思い出しながら探してみたが、当然現代風に様変わり! モダーンなホテルに変貌していた。(この右側の建物かな?) ![]() 東金堂と五重塔 2019.03.30 鉛筆・水彩 この寺の当時の印象は「廃寺」か? なにしろ周りの柵・門はなく、砂埃の舞う土の公園。中には腐りかけたこの二つの建物だけだったと記憶する。現在はこの建物を囲った柵で拝観料を払わないと近付けない・・・ ![]() 金堂と並ぶ高い五重塔 2019.03.30 鉛筆・水彩 京都東寺の五重塔に次ぐ高さはこの地のシンボル。かつての大伽藍を偲ばせるが・・・
薬師寺は興福寺から見ると西に4kmほどで、HPに上げるまでに時間が掛かった(^_^) 平城京についてここで奈良の歴史を調べてみた。飛鳥時代の話は別の機会として、今回は京都に遷都されるまでの平城京についてである。都市の構成は一町を130mほどとし、4町を1単位として縦横に大路を配している。それをGoogleマップに落としてみた。 ![]() 京都から奈良に向かう近鉄は奈良に近づくとかつての都市の遺構を横断して突っ走る! それが平城宮と朱雀門を復元したものだとあとで知った。 (参考:奈良文化財研究所/wikipedia) 唐招提寺平城京の東から西に移動するのに時間が掛かった・・・(^_^) ![]() 正面に鎮座する金堂 2019.03.30 鉛筆・パステル 端正な金堂の姿! あとでこの寺を調べたら「金堂平成大修理」があったのだ。 ![]() 金堂と・・・ 2019.03.30 鉛筆・パステル 全体を見渡せる場所で・・・ ![]() 鼓楼 2019.03.30 鉛筆・パステル 時を報ずる太鼓を懸けた楼。鐘楼と相対して金堂・講堂の左右に建ててあるが、楼門ではなく独立した建物であるところが古い形式なのか? この謎が解けた。唐招提寺のHP(https://toshodaiji.jp/)によると「現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれています」とあった。「南都七大寺」に数え上げられるこの寺にはかつては東西に五重塔を配した名刹だったがその姿は消えてしまっている。その代役を担ってきたのがこの2階建ての鼓楼だったのか? ![]() 鐘楼 2019.03.30 コンテ 鼓楼と対に配置されている鐘楼。釣り鐘の奥に見えるのが鼓楼と礼堂。右手に金堂、左手に講堂を配し、四つの建物により中庭が構成されるが、その中庭の意味するものは判らない。 今回の旅行の隠れた目的は東大寺正倉院の校倉造りを目にすること。それが法華堂(三月堂)経庫・に続きこの経堂も発見! ![]() 礼堂の裏にあった経蔵 2019.03.30 コンテ 法華堂経庫は床を支持する柱間が二間に対してこの経堂は三間。校倉造りは原則的に積み上げられた横材一本の間に屋根を支持する柱は建てない。この小さな間口の建物に三間の柱はこの床の強度対策と推測する。これは何を物語っているのだろうか? ここでまた唐招提寺HPで知識を得る。それによると 「唐招提寺創建以前のもので、新田部親王邸の米倉を改造したものといわれ、唐招提寺で最も古い建造物であり、日本最古の校倉です」 とある。そもそもこの寺は「多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、新田部親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、天平宝字3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。」とうたっている寺である。 荷重のかかる米倉だったのだ! 唐招提寺に長居してしまった! 先を急ごう・・・ 薬師寺唐招提寺を出て南に奈良時代の尺度で二町(*)ほど南に行くと一里塚のような土の塊がある。そこからかつての薬師寺境内か? (*)町とは道路で区画する単位:当時の一町は130m程と考えられている ![]() 日中の法要を知らせる鐘つき 2019.03.30 パステル 奈良時代から続けられているという華やかな法要「花会式」は一週間続き、この日は六日目の土曜日。 ![]() 華麗な衣装を纏った僧侶達。後ろに続くのが10人の練行衆たち 2019.03.30 パステル 僧侶達が列をなして講堂に進んでいく・・・華やかな衣装! ![]() 法要が行われる金堂 2019.03.30 パステル 金堂中央に鎮座する薬師三尊は造花で飾られ、囲むように僧侶達が祈願する。そのうち僧侶全員が薬師三尊を中心にして読経しながら構内を駆け回り、蓮の花びらにかたどった紙をまき散らす。(散華) ![]() 大講堂から見た金堂と東西の塔(東塔は工事中のため素屋根で覆われている) 2019.03.30 パステル 野点席では煎茶が振る舞われ、奉納演奏も行われた。 ![]() 大講堂前の演奏 2019.03.30 パステル 大講堂前は立派な野外ステージ。向かいの金堂と向かい合う大講堂の扉は全開して金堂の薬師如来へ激しいメッセージ! ![]() 2019.03.30 パステル 左右のシンバルが掛け合いで入るとかなり大陸的な趣。遣唐使で花開いた天平文化の真骨頂か? 薬師寺の花会式が終わるといよいよ本格的な春がやってきて「奈良に春を告げる行事」と呼ばれる。 【参考】YouTubeから関連動画を紹介しておく 初夜の法要:https://youtu.be/1wqwsxDZ0Xk?t=142 TV番組、極める「薬師寺花会式」より 制作:テレビ東京・グレートデン、制作年:不明 三条通り東京に帰る前に気になるところがあるので、もう一度猿沢池の周りを朝散歩してみた。 奈良の観光客の主要な動線道路は「三条通り」、平城京の「三条大路」に相当するが道幅は同じか?不明。猿沢池に出て、春日大社に向かう参道だ。 高札場![]() 三条通りの高札場 2019.03.31 鉛筆・透明水彩 ![]() 道に埋め込まれた里程元標 猿沢池の近くには立派な「高札場」がある。「御触書」を庶民に周知させる江戸時代のものを復元したものだろう。 江戸や明治の制度がどうのこうのと観光客には目新しいが、この町にははるかに古い歴史が隠されている・・・ 率川(いさがわ)地蔵尊一昨日、猿沢池を巡り歩いて気になる不思議なものを発見していた! ![]() 三条通りの高札場 2019.03.31 鉛筆・透明水彩 猿沢池の南から西に回り込むように、空堀の川?がある。その川に架かる石橋を渡ると、その真下に赤い涎掛けを着けたお地蔵さんの集団が石船に乗っているのだ。 なんだこれ!!! ならまちを中心としてここでこの空堀状態の川について説明しておく。
右京・左京で構成される平城京の付属部分(外京)の一部 この地図で猿沢池の縁を巡っている空堀の川(率川)の様子が分かる。これは猿沢池が大水の時に溢れた水を受け止める川だと推察できる。現在はこの池以降の街中を流れる川は暗渠となり曲がりくねった水路となっているが、かつての平城京は瀬戸内海との重要な交通水路だったか?と地蔵尊の乗っていた舟に触発され、想像が広がり楽しい。 ●この辺りは平城京が構成される[右京]と[左京]の左側に膨れた地域で[外京(げきょう)]と呼ばれた地域の一部であり、有名な「東大寺」はさらにその外側に位置する。なぜ、端正(シンメトリー)に計画されると想像される平城京に東側に広がった地域があるのか?これは当時の天皇を支える長屋王と藤原不比等の拝領した屋敷を平城宮に見立てたもう一つの隠された平城京なのだ。春日山の裾野に広がる地域に、平城京に連なる外京をこちらから想像してもう一度みてください。 ●平城京の区画された街並みと当時の寺が所有する敷地との関係がここにマウスを乗せると地図で理解できます。さらに西に500mほどいったところが四坊大路でそこまでが外京の範囲です。 現在の地図と見比べてみてください。 ●飛鳥時代の日本最初の本格的伽藍である法興寺(飛鳥寺)が平城遷都にともなって、新築移転されたのが始まりとされる「元興寺(がんごうじ)」の栄枯盛衰の姿が見られる。多くの寺は平安京に遷都後、ほとんどの建物は焼失、再建をくり返したが、元興寺は長い間に忘れられ、民家転用という侵食で現在は通称「ならまち」と呼ばれる地域に変わってしまった。(その時は平仮名表記が通常) ●さらに日本古道の一つ「上ツ道(かみつみち)」が堂々と「率川地蔵尊」の橋から始まると地域では云われている。しかしこの古道は平城京遷都以前の「飛鳥京」と結ぶ三古道「下ツ道」「中ツ道」「下ツ道」の一つで平城京の各々「朱雀大路」「東四坊大路」外京の東端「七坊大路」の延長に続く道である。「上ツ道」は近世では「上街道」、現在では「伊勢街道」「長谷街道」などとよばれ、古寺「元興寺」境内から始まる道となっている。 かつての元興寺の境内(ならまち)はどうなっているの?「率川地蔵尊」の橋(島嘉橋[しまかばし])を渡り、上ツ道を歩いてみると町屋の民家が軒を連ねている。伊勢街道と呼ばれるには道幅は狭く、至るところで雁行・交叉する道で、計画を無視した街並みだということは想像できるが民家のオンパレードに期待!。 猿田彦神社(道祖神)平城京時代の計画道路単位、一町(約130mか?)程で交差点に至りその場所に朱塗りの神社 ![]() 道祖神社 2019.03.31 鉛筆・透明水彩 説明板には元興寺境内に初めて作られた奈良市の神社で云々・・・道祖神・賽神として名高いという。鳥居の扁額には「道祖神」とあるのはこの町の守護神を意味しているのか? 漢方薬局・菊岡率川からほぼ三町ほど来たところ・・・多分かつての「四条大路」あたりだろうか?丁字路となって直進は終了・・・? ![]() 道を阻む道祖神と漢方やさん 2019.03.31 鉛筆・透明水彩 「総本家きくをか」と刻まれた石柱を護るかのように三体のお地蔵さんがこの町を護っている風情だ。お地蔵さんの背景にはこんな書込の御札が二枚も・・・「オンカカカビサンマエイソワカ」チンプンカンプンで後日調べたら「類いまれな尊いお地蔵さま」の意で手を合わせ繰り返し唱えるのだそうだ。 ならまち資料館かなり狭い路地に入っていく。突然大きなぬいぐるみのぶら下がった黒塗りの木戸が出現。牢屋かとみまがう太い縦格子を袖にした棟門。 ![]() 狭い道路からは全容がつかめない資料館 2019.03.31 鉛筆・透明水彩 かなり狭い路地に踏み込んでいく・・・ 旧元興寺の本堂がここに建っていましたが、1451年の戦火により焼却いたしました。 資料館 ![]() 庚申さんの身代わり申 霊験あらたかな庚申信仰のお守り奈良町(ならまち)の家の軒先に赤いぬいぐるみがぶら下がっている。これは、「庚申(こうしん)さん」のお使いの申をかたどったお守りで、魔除けを意味し、家の中に災難が入ってこないように吊るしている。災いを代わりに受けてくださることから「身代り申」とよばれている。 また、背中に願い事を書いてつるす「願い申」ともいう。 出典:奈良町資料館 http://naramachi.co.jp/migawarisaru 奈良町は約 200 町からなり、各町の境には木戸が設けられ、各町に会所があり、そこでの寄合により町掟が定められていた。このことで、町のまとまりが形成されるとともに、統一感のある町家の連なる町並みの形成が促されてきた。近世の絵図によると、奈良町は北、西、南の三方が柵で囲われ、入口となる 11 か所に定杭が設けられていた。木戸の位置も判明するという。 出典:http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1424917042562/files/rekimati2-4.pdf ならまちの民家![]() 2019.03.31 鉛筆・透明水彩 大部分は狭い道路の両端に厨子(ついし)二階、切り妻造り、桟瓦葺き、平入の町屋が連続して並ぶ。 奈良を去るにあたり一つ留めておくことがある。夕餉の居酒屋で知った奈良の地酒がうまいのだ。利き酒で全てクリアできなかったが、後で知った奈良の酒造の歴史。 京都・醍醐寺![]() 日本郵便による
「醍醐」について
三宝院・唐門大きな醍醐寺でも入口は一つ、「総門」をくぐると一直線の道に沿った左右の築地塀の裏側から桜がこぼれるように咲いている。 ![]() 三宝院、唐門 2019.03.31 鉛筆・パステル 左手にある「三宝院」への勅使のためにひらかれる「唐門」。右手「霊宝館」の築地塀から大きくしだれ桜がその前を覆う演出でも、この菊と桐の金ピカ御紋と黒漆の唐門と相まってなんて度派手なことか! それをやり過ごし、醍醐寺伽に入る「西大門」を目指す。 醍醐寺伽藍「西大門」をくぐると目の前は桜が一杯!この時期では開花も不十分かと思っていたが、早咲きのしだれ桜が多いようで、太閤茶会を彷彿させる雰囲気だ。 ![]() 右手の建物は拝殿 2019.03.31 鉛筆・パステル ここから「金堂」「拝殿」「五重塔」等々・・・と続く伽藍が配置されているが、桜のかげに五重塔が・・・。 ![]() 2019.03.31 鉛筆・パステル ![]() 案内図 (クリックで拡大) 開基は弘法大師の孫弟子にあたる理源大師聖宝(しょうぼう)。貞観16年(874)に京都から宇治に近い山奥に草庵を結んだのが始まり。以来山頂を「醍醐山」と名付け、頂一帯を中心に多くの修験者の霊場として発展、その場所を「上醍醐」という。 醍醐天皇の菩提を弔うため、936年に建立され、951年に完成した京都府最古の木造建築物。 ![]() 鐘楼堂と観音堂 2019.03.31 鉛筆・パステル さらに先に進むと朱塗りのお堂が池に映える弁天堂へと続くが、その手前の鐘楼堂で一枚。弁天堂の先は深山幽谷の予感が・・・「馬酔木」「藪椿」の鮮やかな色にハッとする。陰影礼讃だ! 三宝院(歴代座主が居住する坊・庫裏のようなもの?)醍醐の花見のハイライト! 三宝院で止めを刺す。門をくぐった瞬間、大玄関前の見事なほぼ満開のしだれ桜がお出迎えである。 ![]() 2019.03.31 鉛筆・パステル 三宝院の自慢は豊臣秀吉が「醍醐の花見」のために自ら設計して作らせた庭園といわれる回遊式庭園だが、花見の季節はその庭園よりも人が多く集まるのが、この大紅しだれ桜!太閤しだれ桜とも云われるが当然クローンだろう・・・ omnibus今年(2018)もついに立冬を迎えた。 年始めから忙しくしていてまともなスケッチ散歩をしていなかった。 スケッチブックを開くと辛うじて数枚のスケッチを発見! どれも皆音楽会に出た折のスケッチだけで、まともなものはないが掲げておくことにする。 ジャックの塔![]() 横浜市開港記念会館 2018.04.17 鉛筆・透明水彩 この日の演奏会は第10回国際シニア合唱祭“ゴールデンウェーブin 横浜”という集まりで、三日間かけておこなわれるもの。その最終日に出演・・・会場は横浜みなとみらい大ホールで、演奏後は近くにある中華街で喉を潤す・・・これが目的? 食後の腹ごなしに桜木町に向かって数分でこの建物に出会う。横浜三塔という建物の一つ。「キングの塔」「クイーンの塔」「ジャックの塔」というのが三塔の内訳。ジャックだから一番若いのか?と思いきや、三塔の中では一番古い塔だ。 言うは易く行なうは難し! クイーンの塔毎年催される「国際シニア合唱祭“ゴールデンウェーブin 横浜」に、今年(2019)も参加。しかしこの日はあいにくの大雨! 中華街での乾杯は済ませたもののスケッチは中止。翌日にチャレンジした。 ![]() 象の鼻テラスから 2019.05.22 パステル 翌日ははや夏日か?と思わせる好天気。外でのスケッチにはもってこいの日だ。 ![]() キングの塔を背にしたクイーン 2019.05.22 パステル 空中テラスから地面に戻り、道路を挟んで画帳を広げる。 資料1「みなとみらい演奏会場」と「中華街」、その間にある「横浜三塔」の位置はここで判ります。 Mozilla , Chrome & Opera に対応(20140923) |