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rev.190523


balt sea 01

ヘルシンキからフェリーで近づくと小高い丘の旧市街を近代都市が取り囲んでいる

エストニア (タリンの旧市街を中心にして)
ヘルシンキからフィンランド湾を渡って中世都市への日帰り旅行


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バルト海に面する国々

ヘルシンキ タリン ストックホルム コペンハーゲン

 バルト海はヨーロッパ大陸とスカンジナビア半島に囲まれた内海で、言わば北ヨーロッパの地中海である。
その海をフィンランドと対峙している国がエストニアで、中世には十字軍騎士団がこの地方を闊歩していた。その後デンマークが占拠し、ドイツ騎士団と共に支配した。ロシアとの貿易中継地としての重要度が増すとハンザ同盟の都市(ドイツ語名称はレバル・Reval)として繁栄した歴史がある。その後ポーランド王国・スウェーデン・ロシアの傘下となり要塞都市の様相を呈する。ロシア革命後の短い期間(1920-1940年)のたったの22年間だけ独立を果たしたが、その後はベルリンの壁が崩壊するまで待たねばならなかった苦しい歴史がある。
 その首都タリンは重要な要塞都市だったにもかかわらず、大きく被災することなく「中世の町並」が今に残されている。現在は「バルト海のシリコンバレー」といわれる新しい顔を持った都市でもあるが、ヘルシンキからは高速フェリーで1.5時間という近さなので、フィンランド湾を渡って日帰り訪問をしてみることにした。

 バルト海・北海へ進出したいロシアにとっては、フィンランド湾はのど元に棘がある気分だろう。現在でもバルト三国の最南端(リトアニアとポーランドとの間)にロシア領の飛び地があるが、かつてのドイツ領ケーニッヒスベルク(現カリーニングラード)で手放したくないことなのだ。

 そこは第二次世界大戦開戦直前にドイツに嫌気がさし日本に亡命してきて、ユダヤか?と我が国の特高ににらまれていた建築家・ブルーノ・タウトの出身地である。彼自身は「十字軍に参加した中世のゲルマン騎士の家柄であった」という記述があり否定しているが、そのことを思い浮かべ、その騎士団活躍の時代をいくらかでも感じられればという思いも今回の日帰りスケッチの動機である。

太っちょマルガレータの塔 山の手地区(トームペア)からの眺望 タリン市街で一番古いトームキリク教会 井戸のある広場 市民ホール前のラエコヤ広場 中庭レストラン 旧市街を囲う城壁 カタリーナギルド通り

    案内リスト

  1. 太っちょマルガレータの塔

    グレート・コースト・ゲート

  2. お城へ入る2つの道

  3. 山の手地区からの眺望

  4. トームキリク教会

  5. 井戸のある広場

  6. ラエコヤ広場

  7. 中庭レストラン

  8. 旧市街を囲う城壁

  9. カタリーナギルド通り


 ハンザ都市として栄えた中世ドイツの町並みが残るタリン歴史地区は南北たったの1kmという城郭都市で、小さな丘を城としている。その簡単に歩き回れるほどの地区が「ドイツよりもドイツらしい街」と呼ばれ、ユネスコの世界遺産として登録されている。これといって有名な建物があるわけはないが、絵本の中を歩くような町であった。


太っちょマルガレータの塔(Paks Margareeta)

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 2010.7.11 鉛筆・透明水彩

 町の入口を守るため1529年に建てられた砲塔で、直径24m・壁の厚さは4.7m。現在は海洋博物館となっているが、かつては倉庫・兵舎・監獄と利用されていて、食事を切り盛りしていて慕われていた太ったおかみさん(Margareeta)からこの名前が付けられたそうだ。
 後ろに見える塔は124mあり、タリンで一番高い塔を持つ聖オレフ教会。度々の落雷で修復したのが現在の姿だが、中世の時代には世界一の高さ(159m)を誇ったという。今でも港から一番に目に付くランドマークだ。オレフとは教会を造ったとされるノルウエーの伝説の巨人とのこと。

グレート・コースト・ゲート

sketch

 2010.7.11 鉛筆・透明水彩

 太っちょマルガレータと細長い見張り塔の間に設けられているのがこの城門。港とラエコヤ広場(市民ホールのある中心地)を結ぶこの道がかつて商人達が通るメインストリートだった。エストニア語で、ピック(pikk・長いの意)と呼ばれる主要通路だ。

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お城へ入る2つの道

Pikk Jalg 通り

下町(All-Linn)から山の手(Toompea)へ入る場所は二ヶ所しかない。

Luhike Jalg 通り

 一つは左図のだらだら坂を行くピック・ヤルグ(Pikk Jalg・長い足の意)通りで、初めはこの一ヵ所に限られていた。坂道の下にあるゲートタワーは毎晩閉じられ、為政者が外敵から守られる一画だった。
現在のエストニアの国会はこの山の手の城の中にあるので、国会議員といえども徒歩で上がるか、ゲートを通れる小型車で山の手に入ることになる。

 もう一つの入り口は、急坂で狭い小径を上っていくリュヒケ・ヤルグ(Luhike Jalg・短い足の意)通りだ(右図)。
本来は左手の急斜面石畳だった通路に階段を付けたものなのだろう。それでもかなり古そうだが・・・


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山の手地区(トームペア)からの眺望(Vew from Toompea)

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真下の道は「長い足」というピック・ヤルビ通り 2010.7.11 鉛筆・透明水彩

 この石灰岩の高台はエストニア人の神話では、古代の王カレフの陵墓とされる神聖な場所であり砦でもあった。それを11世紀にデンマーク人が占拠して城を築いたことから「デンマーク人の城(Taani linn)」と呼ばれ、タリン(Tallinn)という都市名の由来ともなっている。
その城壁から北を望むとバルト海が、眼下の旧市街の美しい景色と共に眺める事が出来る。青い空と赤い屋根・教会の尖塔と城壁・見張り塔・・・絵葉書のように見事な景色である。

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トームキリク教会(Toomkirik)

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 2010.7.11 鉛筆・透明水彩

アレクサンドル 
・ネフスキ聖堂

 山の手でも一番高いこの場所はエストニア人にとっての聖域であった。その場所にデンマーク人が13世紀にキリスト教を布教するために建てたこの教会はToomkirik(大聖堂の意?)とも呼ばれ、その後の中心的な教会となっている。そのことから山の手を意味するトームペア(Toompea)の語源にもなっている。
 旧市街ではほとんど車を見ないが、この山の手地区ではこのようにゆとりがあるので絵に描き込んだような車も駐車していた。この教会の周囲に立ち並ぶリンデンバウム(西洋菩提樹)?の大木が下町にはない風格を添えている。タリン最古の教会で、質素な佇まいが好もしい。

 その一方で・・・坂をちょっと下るとタマネギ頭の教会が現れる。下町から山の手に上がってくるといやが上にも目の前にはだかり、さらには議会建物の正面でもあるという、配置に政治的な意図を持たせた大きな建物である。
この大寺院はロシアが占領した時代のアレクサンドル・ネフスキ聖堂で、20世紀初期に建てられた、いたって新しい建物である。
長い歴史が創り出した教会の尖塔や城壁見張り塔のスカイラインは気持ち良いものだが、突然目に映るこのギラギラ聖堂の丸頭には一瞬驚かされる。これも歴史の一片なのだ?と容認してしまう、この国の気質なのだろうか。

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井戸のある広場(Ratasukaevu Plats)

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ラタスカエヴ通りの井戸 2010.7.11 鉛筆・透明水彩

 山の手から下町に下りてくると、傾斜地の三叉路に出くわす。中央にはつるべ井戸があり、いかにも井戸端会議が始まりそうなオペラの舞台装置を見るおもいだ。もちろんこの井戸は現在は使われていない。 後で知ったことだがこの井戸にまつわる不思議な話があった。

 中世では井戸の中には水の悪霊が住んでいて、井戸が枯れないように生け贄を捧げる必要があると信じられていた。そのため時々動物を放り込んだが、野良猫はそのターゲットになりやすく「猫井戸」と呼ばれるようになった。
日本人だったらお化け話にでもしそうな話だ。

 背景の教会は聖ニコラス教会(Niguliste kirik)で、ドイツの商人により1230年に建設され、商人と船乗りの守護聖人・聖ニコラウスに奉納されたもの。1944年3月のタリン爆撃で破壊されたが戦後修復され、1984年には博物館・コンサートホールとして使われている。

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ラエコヤ広場(Raekoja Plats)

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旧市庁舎からのスケッチ 2010.7.11 鉛筆・透明水彩

 綺麗な建物が並んでいるタリン旧市街の中心となる場所。主要な道はすべてこのラエコヤ広場につながっているので、タリン旧市街を散策していると何度もこの広場に出くわすことになる。
 背景の尖塔は13世紀に建てられたタリン最古のゴシック様式の聖霊教会(Puhavaimu kirik)のもの。塔は1430年代になって設置されたが、現在の尖塔は1688年以降のもの。

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 2010.7.11 鉛筆・透明水彩

 広場に面した旧市庁舎は1404年に建てられたゴシック様式の建物。尖塔はバロック様式で1781年に取り付けられている。
 広場周辺には飲食店が並び、観光客はテント張りのオープンテラスで食事を楽しんでいる。広場では中世音楽が流れ、修道服姿のボランティアの演出もあり、タイムスリップした異次元の空間である。
 背景の尖塔は聖ニコラス教会と山の手地区のアレクサンドル・ネフスキ聖堂。

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中庭のレストラン

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 2010.7.11 鉛筆・透明水彩

 通りを歩いていると所々で中庭がうかがえる外壁がある。その中の一つにレストランの案内があったので誘われるままに入ったのがこの中庭。左手前は主屋と思われるが、その他の建物はレストランや手工芸品等の店として取り囲んでいる。右手の建物はかつての納屋・馬屋を改修したものと思われ、市街地の住宅の典型的な形なのだろう。

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旧市街を囲う城壁

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 2010.7.11 鉛筆・透明水彩

 14世紀から16世紀にかけて補強や塔の増築が繰り返され、現在の姿となっている。かつての城壁の長さは、約2.5kmほどになるが、現在でもその4/3程度が残っている。
 内側から見ると見張り塔との間には屋根付きの木製の回廊が廻らされているのが良くわかる。下の通路の幅にちょっとでもゆとりスペースがあれば、観光用の店としてちゃっかり利用している。

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カタリーナギルド通り(Katariina Kaik)

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左側は修道院の外壁。突き当たりは城壁。 2010.7.11 鉛筆・透明水彩

 ドミニカ修道院(Katolik kirik)の南側に沿った細い通りに迷い込んだ。しかしこの小道はこの町一番の風景といっても良いような中世そのままの景色である。修道院のフライイングバットレスだろうか、道の上部を掛け渡したアーチはこの通りを私的空間にしたかのように路上カフェや職人達の仕事場が立ち並び、もちろん公開している。この小道を「カタリーナの通路(Katariina kaik)」と呼んでいる。

 帰りのフェリーで気が付いたことだが、船の乗客は思いの外フィンランド人が多いことだ。これはフィンランドではアルコール飲料が意外に高く、飲酒目的でタリンに行き、アルコールをカート満載で帰還する姿を見て分かったことだ。 高いといっても我が国と比べたらかなり安いのだが・・・因みに缶ビール(小)がスーパーマーケットで1ユーロ程度。 ということは我が国の半値!

 フィンランド人の一人当たりのコーヒー摂取量世界一というのは、高いといって不満を持ってるアルコールに換えての飲物ということなのかもしれない。



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