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balt sea 01

フィンランド (ヘルシンキを中心として)
ヘルシンキ市内を中心にして・セウラサーリ野外博物館・ヘルシンキ工科大学のあるエスポー市まで


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バルト海に面する国々

ヘルシンキ タリン ストックホルム コペンハーゲン

 バルト海はヨーロッパ大陸とスカンジナビア半島に囲まれた内海で、言わば北ヨーロッパの地中海である。北海への出口はスウェーデンとデンマークの島々とで塞がれ、国境を挟む距離はたった7kmという狭さである。高緯度に位置しているためだろうか干満も少なく北海との流出入があまりなく、一方的に陸地からの川の流出に由るためだろう、潮の香りもせずフジツボのような生物も蔓延ることもない、いたって穏やかな湖のような海である。塩分の薄さからだろうか、冬季には結氷するそうだ。

 フィンランドはエストニア・ハンガリーと同じ中央アジア系民族(ウラル・アルタイ語族)の国で、周囲をアーリア系民族(インド・ヨーロッパ語族)の国々に囲まれている。遙か昔アーリア人が民族移動して、湖水地方に封鎖されるように行き着いたのだろうか。時代は下って12世紀にはスウェーデンが侵略、自然崇拝のフィン人をキリスト教に改宗、カレリア地方をロシアと分割するも、19世紀にはフィンランド全土をロシアに割譲(フィンランド大公国)となるが、ロシアの緩和政策により民族主義が次第に高まり、20世紀になってようやく独立(1918)することとなった比較的新しい国である。

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ヘルシンキ市内地図(赤マークはスケッチにリンクしています)
ここにマウスを乗せると幹線道路・鉄道が表示されます

ヘルシンキ中央駅 文化ホール(バスターミナル) テンペリアウキオ教会 国立博物館 フィンランディアホール ハカニエミマーケットホール オールドマーケットホール マーケット広場 エスプラナーディ スヴェンスカ劇場 ウスペンスキ寺院 ヘルシンキ大聖堂 ドイツ教会 ヨハンネス教会 アンティーク・アンド・アートホール セウラサーリ野外博物館 ヘルシンキ工科大学 共通教室 学生村 オタニエミ教会 学生村 サウナ

 ヘルシンキは数々の島々が散らばって構成されている。どの島も穏やかな稜線で岩盤むき出しである。市内でもあちこちに岩盤が露出し、空き地・公園となっている。海の水深が浅いことを考慮すると、全体がいたって穏やかな一枚岩の地形だと想像される。空想を逞しくすればバルト海もかつて覆っていた氷河が削りだした地盤なのだろう。 街の印象は「赤い石の街」で、道路の舗石も縁石も、多くの建物の基礎石も赤い花崗岩である。当然地下鉄のルートは限られ、市街の主要交通はトラム(市街電車)である。

    案内リスト

  1. ヘルシンキ中央駅
  2. 文化ホール(バスターミナル)
  3. テンペリアウキオ教会
  4. 国立博物館
  5. フィンランディアホール
  6. ハカニエミマーケットホール
  7. オールドマーケットホール
  8. マーケット広場
  9. エスプラナーディ
  10. スヴェンスカ劇場
  11. ウスペンスキ寺院
  12. ヘルシンキ大聖堂
  13. ドイツ教会
  14. ヨハンネス教会
  15. アンティーク & アートホール
  16. セウラサーリ野外博物館
     カルナ教会
     チャーチボート小屋
     ニエメラ農場
  17. ヘルシンキ工科大学(TKK/HUT)
     共通教室
     学生村オタニエミ・チャペル
     学生村サウナ

 ヘルシンキは19世紀の大公国時代に西部のタンペレから遷都した街で、当時のヨーロッパでもて囃された(ギリシャ・ローマ的)新古典主義のデザインにより都市計画された。しかし世紀末からは近代化に向けてヨーロッパ化するのではなく徐々に民俗的覚醒を果たしていく。そして他の北欧と期を一にして「ナショナル・ロマンティシズム」の運動が起こり、結果的にヨーロッパと一線を画した文化を標榜するようになった。
 現在の北欧デザインは世界中で支持されているが、それを生み出す源泉は厳しい自然環境との調和からにあるだけでなく、先人達のナショナル・ロマンティシズムがあり、その延長上に現在の洗練されたデザインやハイテク技術(NOKIAやLinax)があると思えば理解しやすい。
 以下、そんな事を思いながら小さな目を大きく見開いて観察した短い滞在のスケッチである。


ヘルシンキ中央駅(Helsinki rautatieasema)

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 2010.7.10 鉛筆・透明水彩

カレワラがモチーフの彫刻

 ヘルシンキの玄関口で国内各都市に向かう長距離列車と全ての近郊列車が当駅から出発する。階下からは地下鉄(ラウタティエントリ駅)が、地上ではトラムが周回し、名実ともに中央駅である。
 フィンランド産の花崗岩でつくられた外観は緻密な彫刻がなされ、アールヌーボー様式のものである。長いプラットホームの両側に沿うように長く延びた駅舎の水平方向をぶち破るような高い時計塔が目を引く。その高さはヘルシンキのランドマークにもなっている。
 初代建物の狭さから二代目の駅舎はコンペにより選ばれ(1904年)、エリエル・サーリネン設計によるものである。(1919-1922年築) フィンランドのナショナル・ロマンティシズム建築の代表的建物といわれている。
 正面入り口の左右に二体ずつ計4体立っている男性像彫刻(右図参照)は、フィンランドの民俗叙事詩「カレワラ」から題材をとったといわれる彫刻で、手にしているのは照明灯である。

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文化ホール(Kulttuurien museo / Tennispalatsi)

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 2010.7.9 鉛筆・透明水彩

 1920年代からの機能主義の建物はあまり見受けないが、その中で見つけた一つ。この建物の形態がちょっとユニークなのは建物の用途が屋内テニス場(テンニスパラッツィ / Tennispalatsi)だったからで、1938年(第二次世界大戦の開戦前年)に建設されたものである。その大空間をシネコン・美術館・カルチャーミュージアムとして外観はそのままの状態にして利用されている。 前面広場の地下はバスターミナルの大動脈で、手前の最新建物がその入り口となり、かなりの規模で再開発したものであろうが違和感なく相対峙している。

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テンペリアウキオ教会(Temperiaukion kirkko)

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 2010.7.9 鉛筆・透明水彩

 斬新な教会である。大きな岩の頂部からくりぬき、コンクリートリブのアーチをドーム状にして被せた建物である。そのため本来在った岩と大きさは変わらず、周りのアパートメントからは見下ろすほどである。

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 2010.7.12 鉛筆・透明水彩

 内部は岩盤むき出しでキリスト教を受け入れる前からの自然崇拝を表しているようで感動的ですらある。音響的にも好評で、ここで録音されたレコードも多々出されているが、幸運にも公開されている時間にピアノ演奏を聴くことが出来た。評判通りで、ひさびさに至福の時を過ごした。
 以前から教会設立の計画はあったようだが戦争で延期され、戦後改めてコンペで選ばれたもの。設計者はスオマライネン兄弟で1969年に完成した新しい教会である。

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国立博物館(Suomen Kansallismuseo)

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 2010.7.11 鉛筆・透明水彩

階段に熊の彫刻

 外観は中世の城か教会のようにしか見えないが、フィンランド国立博物館である。ルマン・ゲゼッリウス、アルマス・リンドグレーン、エリエル・サーリネンという三人の建築家による設計で、フィンランドロマン主義建築であるとされている。残念ながら中に入らなかったので外観で想像するしかない。
1905-1910年築だが、フィンランド独立(1917)以降から博物館として使用されていることから想像すると、個人(貴族)の所有建物を没収・転用ということなのだろうか。
正面階段の袖上に鎮座している熊の彫刻(右図)は、中央駅の彫刻と同じようにカレワラをモチーフとしたものだそうである。そういえば熊のマークのビールがあったがその熊も同じものなのだろうか。

トラムの通る道路を挟んだ反対側には、国民的人気建築家・アルヴァ・アールトの設計したモダーンな白亜の建築「フィンランディアホール」が建っている。建設の時間的隔たりはたったの半世紀だが、デザインの世界では隔世の感がある。

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フィンランディアホール(Finlandiatalo)

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 2010.7.11 鉛筆・透明水彩

 トーロ湾に面する国際会議場とコンサート・ホールを兼ねた建物で、名称はもちろんJ.シベリウスの有名な交響詩「フィンランディア」によるものだろう。このロケーションがまず素晴らしい。この湾を中心にしてオペラハウスや戦後早々に催されたオリンピック競技場があり、市民の散歩コースとなっている。道路側からは建物の裏側から入る事になるが、エントランスホールの先にトーロ湾を一望すことになる。

アルヴァ・アールトに設計依頼されたのは1962年で、ホールの主要部分は1971年に完成、会議場の増築がなされ1975年に完成した。大ホール1,700席・小ホール350席という規模だがいたって評判が悪いそうである。
 日本でもバブル以前は兼用ホールが一般的だったが音響的にはひどいものだった。残響を考えただけでも音楽と講演という相反する効果を求める用途なのだから無理な話だ。「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということだろう。そのためか?近くにオペラハウスが造られているのはそのためだろうか?

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ハカニエミマーケット(Hakaniemen kauppahalli)

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 2010.7.10 インクペン・透明水彩

 フィンランドの陶磁器といえば「アラビア」が有名なので、その工場まで足を伸ばした時のこと。トラムで乗り換えた「ハカニエミ」の前がマーケットホールで、その広場のテント市場がえらく賑わっている。我が国のようにスーパーマーケット・コンビニエンスストアの類の店舗はあまり見うけないが(有ることはあるが)このような広場を利用してテント張りの市があちこちで開かれている。ホールの中はちょうど専門店街という感じで、衣・食・雑貨何でも有りの小店が並んでいた。
建物の設計はカール・ハード(Karl Hard)、1914年にオープンしたとまではWebで読めたが・・・煉瓦造りのきれいな建物である。

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オールドマーケットホール(Vanha Kauppahalli)

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背景にはマーケット広場とそれを越えて大聖堂が見える 2010.7.12 鉛筆・透明水彩

 1889年にオープンしたヘルシンキ最古のマーケットホールで、港のある南海岸に建っている。イタリア的装飾が華やかさを演出した外観だが、ネオルネッサンス様式といえばいいのだろうか。
 設計はフィンランドの建築家グスタフ・ニューストロム(Gustaf Nystrom)(1856-1917)で、デザインミュージアムやウィンターガーデン、ヘルシンキ大学パームハウス等を設計している。

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マーケット広場(Kauppatori)

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右奥に見えるのはウスペンスキ寺院 2010.7.9 鉛筆・透明水彩

ストックホルムに向かう豪華フェリー

 海に開けた広場の回りを取り巻く建物は当初の都市計画のものなのだろうか、ギリシャ風(新古典主義)の威圧的な雰囲気だが、青空市場となることで市民の憩いの場所となっている。スケッチしている目の前にハーブを運んできた舟がデッキに並べ始めた。充分にディルの香りに包まれている。
この港からは観光船・渡し船・定期船が出港するので観光客も大賑わいだ。

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カフェ・エスプラナーディ(Kappeli Esplanadi)

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エスプラナーディのカフェ 2010.7.10 鉛筆・透明水彩

 フィンランドの一人当たりの珈琲消費量は世界一という(真偽の程は確かでないが)。夜の長い冬にはアルコールでは持たないだろうから、さもありなんとも思う。コーヒーショップは生活に欠かせないものとなっているようで、テント市場にももちろん多く見うけられた。
 街の中で一番有名と思われるカフェはエスプラナーディ公園にあるこの店だろう。アールヌーボの雰囲気を漂わせる、硝子張りの温室のようなこのカフェは冬の寒さでもきっと賑わっていることだろう。ホームページをのぞいたらあの音楽家シベリウスも常連だったようである。
 店の名前になっているエスプラナーディとは平行した二つの通りの名前で中央のベルト地帯が公園となっている。夏のこの時期にはピクニックの市民で賑わい、水着姿で芝に寝ころんで日光浴を楽しんでいた。マリメッコを始めとしたフィンランドを代表するお店が軒を連ねるヘルシンキ随一の目抜き通りである。

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スヴェンスカ劇場(スウェーデン国立劇場)
(Routsalainen teatteri / Svenska teatern)

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 2010.7.10 鉛筆・透明水彩

 フィンランドはフィンランド語とスウェーデン語が公用語である。どの通りも名前が二ヶ国語で併記されている。スウェーデンに近い西側の都市ではスウェーデン語が多く使われているらしいが、ここヘルシンキではフィンランド語が多く、旅行者に助かるのは英語が誰でも堪能なことである。 かつての宗主国スウェーデンとしては自国の文化を普及させるためだろうか、スウェーデン語で上演する劇場を6ヶ所用意しているそうだが、ここヘルシンキにはエスプラナーディの西端にスウェーデン語の劇場を用意している。
 初期の建物はロシアの建築家ニコライ・ベノワ?(Nicolai Benois)による木造のものが1866年に建てられたが火災で焼失、その後も使われていたが、1936年にフィンランドの建築家サーリネンとエクルンドにより内装は大改修、外観はモダーンに生まれ変わった。それが現在の姿である。
 リンデンバウム(Lindenbaum)の後ろで見えないが、アールト設計の「アカデミア書店」から始まり左にサーリネン設計の「銀行」、アールトのオフィスビルと壮観な町並が続く通りである。

URL http://www.svenskateatern.fi/en/home/

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ウスペンスキ寺院(Uspenskin katedraali)

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手前の事務所ビルはアールト設計の「エンソ・グートツァイトビル」 2010.7.12 鉛筆・透明水彩

 ウスペンスキ寺院は西欧で最も大きなロシア・ビザンティン建築の正教教会としてバルト海を見渡す高台(岩盤)に建っている。1862-1868年に建築された事から、当初の都市計画にはなくクリミア戦争で黒海確保の勢いに乗りバルト海覇権拡大の意図があって建てられたと想像する。アレクセイ・ゴルノスタヤブによってデザインされたとするこの建物はあまりにも威圧的だ。
 時は一世紀ほど過ぎ、海を遮るように白大理石によるモダーン建築が登場した。フィンランドの建築家・アルヴァ・アールト設計による「エンソ・グートツァイトビル」(製紙会社本社ビル)(1959-1962築)である。西側のマーケット広場を取り囲むように新古典主義の建物で纏められている一画に「機能主義」の建物は不釣り合いだとの非難も聞こえそうだが、それよりもフィンランド独立から半世紀にしてようやく未来を見据えるシンボルが誕生したと理解したい。

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ヘルシンキ大聖堂(Tuomiokirkko)

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大聖堂とその前の広場がヘルシンキ元老院広場 2010.7.12 インクペン・透明水彩

 首都ヘルシンキの都市計画はドイツ人のカール・ルードヴィッヒ・エンゲル (Carl Ludvig Engel)(1778-1840) によって、新古典主義様式でつくられた。ここは市街地中央に位置し、18世紀には在った教会を彼自身のデザインにより1830-1852年に造り直したものである。正面大階段や広場(元老院広場)はその後に造られ、荘厳ともいえる空間を演出している。広場の中心に立っている彫刻はロシア皇帝アレクサンダーII世というから不思議な感じがする。
 回りを取り囲む建物はヘルシンキ大学や市庁舎で、人気の少ない広場をトラムがなにくわぬ顔?で横切っていく。

ドイツ教会(Deutsche kirche)

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左の道路を下った先が大型フェリーの港 2010.7.12 鉛筆・透明水彩

 海から見ると高い尖塔が気になって、不慣れな地をやま勘でたどり着いた教会。高さに比して規模の小さい教会だがしっかりしたバットレスで支えられたネオゴシック建築である。
表示に「Deutsche kirche」とあったからドイツ人のための教会だろうか。バルト海対岸の「タリン」はハンザ同盟の都市だというから、ドイツ民族もこのあたりを行き来していたのかもしれない。

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ヨハンネス教会(Johanneksenkirkko)

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 2010.7.12 鉛筆・透明水彩

 もう一つ海から目立つ尖塔があった。こちらは二本の尖塔でかなり規模が大きい。背面(西側)からだと大きな丘を登るようで余計大きく感じる。石造りの教会ではフィンランド一の規模を持ち、高さも74mになるという。 アドルフ・メランデル(Adolf Melander)によって設計され、1888-1891年に建築された。

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アンティーク・アンド・アートホール(Antiikki-ja taidehalli)

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 2010.7.10 鉛筆・透明水彩

 広場後方にあるのが骨董を扱う専門店マーケット。 広場は週末を中心に開催される屋外フリーマーケットで、この日は土曜日。十分明るいがはや夕方なので片付け始めている。
 ひやかし半分で歩いてみると懐かしいLPレコードを見つけた。フィンランド語で意味不明だが、「フィンランディア」というタイトルの全集もの、女声合唱のもの、男声合唱のものを選び出した。そしたらなんと露店の男はその男声合唱のメンバーでジャケットを指して30年前の自分の姿を説明してくれた。そんなことから重い荷物を担いでくることになったが良い想い出である。出品者のほとんどが一般参加者によるものなので、思わぬ掘り出し物もあるそうだ。
 帰国後、「フィンランディア」なるレコードを聴いてみたら、カレリア地方の唄だろうか?叙事詩「カレワラ」を想像させる曲を民族楽器「カンテレ」と共に唄ったもの、ロシア風合唱のもの、ただの語りのもの、国民的英雄シベリウスのもの・・と、盛りだくさんのものだった。

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セウラサーリ野外博物館(Seurasaaren ulkomuseo)

 1600年代から1900年代までのフィンランドの地方に残る建物をヘルシンキ郊外の一つの島に移築し、野外博物館にしたものである。創設は1909年で、ニエメラの小作人の建物を移築したことから始まったというから、ちょうど1世紀たっている。

カルナ教会(Karuna Kirkko)
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 2010.7.9 鉛筆・透明水彩

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 スオミ県(トゥルク近郊)のカルナ荘園(領地)にあった教会で、1685-1686年に建てられた。領主は聖職者(牧師)でもあったようだ。
20世紀に入ってから石造の教会に取って代られたので、この屋外博物館の初期(1912年)に移築されたものである。
 教会内部はボートを伏せたような半円筒ヴォールトで内壁とも白色(多分漆喰)に塗られている。汚れた表面の様子から推測するに、本来は彩色されていたのかも知れない。木造だから窓も大きく十分に明るい。側面の壁に付けられた燭台は人の腕をかたどったもので、蝋燭を握った腕が突き出ているのがなんとも不気味に感じられた。

 奥に建っている鐘楼は1767年につくられたもので、鐘は1754年にストックホルムで鋳造されたものだ。

 教会の敷地片隅にはセウラサーリ野外博物館の創設者「Axel Olai Heikel」夫妻が静かに眠っている。

チャーチボート小屋(kirkkoveneneet)
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右側の小屋壁は井桁に組んで柱にしている。 2010.7.9 鉛筆・透明水彩

 スオミ県に隣接するハメ県(内地)の教会ボート。当時、教会のない島の住人は湖を渡って教会に出かけた。手漕ぎのボートを総勢で漕ぐ巨大なボートである。1つは16mの長さ、もう一つは21.4mの百人乗りだという。村人総出で漕いで出かけたらしい。
 その伝統が現在の欧米社会でも受け継がれているようで、「チャーチボート」というレガッタ競争のような団体競技が行われ、名前だけを残している。スウェーデン系の移民たちが伝えたに違いない。

ニエメラ農場(Niemelan torppa)
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 2010.7.9 鉛筆・透明水彩

quotation; The SEURASAARI Open-air Museum Guide

 中央スオミ県にあった農場で、1700-1850年代という長い時間をかけて増改築を繰り返してきた農家建築群。全部で20近くの建物で構成されているが中心はサウナを繋げた母屋である。煙突が見うけられないのは暖炉がないからで、屋根の一部を必要に応じて開閉したものだろう。そして長い冬を室内の炉に張り付くように過ごしていたようだ。
 数ある建物は母屋・家畜小屋・納屋・船小屋と大まかに分けられるが、単目的のログハウスが分散して配置されている。それを大きく括っているのが丸太を斜に使った垣根である。このような垣根は一般的らしいがいたって合理的である。
 アールトがこの島の博物館を愛していたようで、よく散歩で訪れたという。彼の大らかなディテールはこんな素朴な環境から培われたものなのではないだろうか。

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ヘルシンキ工科大学(TKK / HUT)

おことわり:
 2010年1月からヘルシンキ工科大学はヘルシンキ芸術デザイン大学とヘルシンキ経済大学の3大学が1つになり「アアルト大学」となりました。技術とビジネス、デザインという異なる分野を統合した可能性を追求するためと聞いていますが、ここでは統合前の大学として取り扱っています。

 この大学はヘルシンキとは湖のような海で隔てられたエスポー市にある学校で、アルヴァ・アールトが敷地選びから設計まで携わったという。ヘルシンキからは島伝いの道路で簡単にいけるが冬には海が結氷するので、対岸の学生はスキーで通うという、いたって自然いっぱいの環境である。学校といっても塀があるわけでもなく道路から出入り自由で、数ある建物群は共通して煉瓦で構成されている。

共通教室
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 2010.7.9 鉛筆・透明水彩

 その代表的な建物が象徴的な形をしたオーディトリウムで共通教室に使われている。内部は扇型平面の階段教室で、曲面の高窓から均一な光が降り注いでいる。
 校内を散歩しながら移動すると、様々な建物の形態が表情を変えて楽しませてくれる。ついに建築学科棟の教室にまで紛れ込んでしまった。

オタニエミ・チャペル(Otaniemi kappeli)
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 2010.7.9 鉛筆・透明水彩

 このチャペルはヘルシンキ工科大学の学生村にある。森の中に煉瓦で区画された前庭には軽快な鐘楼があり、その下を潜って低いホールにはいる。

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 2010.7.9 鉛筆・透明水彩

 チャペルに入ると天井の高さが一変して明るい光が頭上から注ぎ、正面は外周の森そのものが目に入る。なんとシンボルであるはずの十字架は外にあるのだ。冬であれば白銀の世界に十字架だけが浮かび上がる幻想的な空間になるはずである。
設計はヘイッキ&カイヤ・シレン夫妻で工科大学の学生達が中心になって建設した。完成は1956年Xmas。しかし1976年に放火により全焼。同年には元設計通りに復元されている。

北海道トマムにある「水の教会」はこの教会にヒントを得て設計された話は有名である。

学生寮サウナ(Rantasauna)
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 2010.7.9 鉛筆・透明水彩

 ヘルシンキ湾に面した傾斜地に埋め込まれたようにあるのがこのサウナ。海側にはテラスがありバーベキュー可能な竈も用意されていた。圧巻はそのテラスをまっすぐに突き抜けると木製桟橋が海に突き出て、周りは葦一面の水辺。サウナからまっすぐに海に飛び込む設定だ。

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参考文献:
 THE SEURASAARI OPEN-AIR MUSEUM GUIDE


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