バルト海はヨーロッパ大陸とスカンジナビア半島に囲まれた内海で、言わば北ヨーロッパの地中海である。北海への出口はスウェーデンとデンマークの島々とで塞がれ、国境を挟む距離はたった7kmという狭さである。高緯度に位置しているためだろうか干満も少なく北海との流出入があまりなく、一方的に陸地からの川の流出に由るためだろう、潮の香りもせずフジツボのような生物も蔓延ることもない、いたって穏やかな湖のような海である。塩分の薄さからだろうか、冬季には結氷するそうだ。
フィンランドはエストニア・ハンガリーと同じ中央アジア系民族(ウラル・アルタイ語族)の国で、周囲をアーリア系民族(インド・ヨーロッパ語族)の国々に囲まれている。遙か昔アーリア人が民族移動して、湖水地方に封鎖されるように行き着いたのだろうか。時代は下って12世紀にはスウェーデンが侵略、自然崇拝のフィン人をキリスト教に改宗、カレリア地方をロシアと分割するも、19世紀にはフィンランド全土をロシアに割譲(フィンランド大公国)となるが、ロシアの緩和政策により民族主義が次第に高まり、20世紀になってようやく独立(1918)することとなった比較的新しい国である。
ヘルシンキは19世紀の大公国時代に西部のタンペレから遷都した街で、当時のヨーロッパでもて囃された(ギリシャ・ローマ的)新古典主義のデザインにより都市計画された。しかし世紀末からは近代化に向けてヨーロッパ化するのではなく徐々に民俗的覚醒を果たしていく。そして他の北欧と期を一にして「ナショナル・ロマンティシズム」の運動が起こり、結果的にヨーロッパと一線を画した文化を標榜するようになった。
現在の北欧デザインは世界中で支持されているが、それを生み出す源泉は厳しい自然環境との調和からにあるだけでなく、先人達のナショナル・ロマンティシズムがあり、その延長上に現在の洗練されたデザインやハイテク技術(NOKIAやLinax)があると思えば理解しやすい。
以下、そんな事を思いながら小さな目を大きく見開いて観察した短い滞在のスケッチである。
ヘルシンキの玄関口で国内各都市に向かう長距離列車と全ての近郊列車が当駅から出発する。階下からは地下鉄(ラウタティエントリ駅)が、地上ではトラムが周回し、名実ともに中央駅である。
フィンランド産の花崗岩でつくられた外観は緻密な彫刻がなされ、アールヌーボー様式のものである。長いプラットホームの両側に沿うように長く延びた駅舎の水平方向をぶち破るような高い時計塔が目を引く。その高さはヘルシンキのランドマークにもなっている。
初代建物の狭さから二代目の駅舎はコンペにより選ばれ(1904年)、エリエル・サーリネン設計によるものである。(1919-1922年築) フィンランドのナショナル・ロマンティシズム建築の代表的建物といわれている。
正面入り口の左右に二体ずつ計4体立っている男性像彫刻(右図参照)は、フィンランドの民俗叙事詩「カレワラ」から題材をとったといわれる彫刻で、手にしているのは照明灯である。
カルナ教会(Karuna Kirkko)
スオミ県(トゥルク近郊)のカルナ荘園(領地)にあった教会で、1685-1686年に建てられた。領主は聖職者(牧師)でもあったようだ。
20世紀に入ってから石造の教会に取って代られたので、この屋外博物館の初期(1912年)に移築されたものである。
教会内部はボートを伏せたような半円筒ヴォールトで内壁とも白色(多分漆喰)に塗られている。汚れた表面の様子から推測するに、本来は彩色されていたのかも知れない。木造だから窓も大きく十分に明るい。側面の壁に付けられた燭台は人の腕をかたどったもので、蝋燭を握った腕が突き出ているのがなんとも不気味に感じられた。
奥に建っている鐘楼は1767年につくられたもので、鐘は1754年にストックホルムで鋳造されたものだ。
教会の敷地片隅にはセウラサーリ野外博物館の創設者「Axel Olai Heikel」夫妻が静かに眠っている。