エーリック・グンナール・アスプルンド(Erik Gunnar Asplund)
スウェーデンの建築家。アルヴァ・アールト、アーネ・ヤコブセンら北欧の20世紀の建築家たちに多大な影響を与え、北欧近代建築の礎を築いた。アスプルンドは建築家にとっては最盛期ともいえる55歳で世を去り、作品はほぼスウェーデン国内に限られる。作品数自体も決して多くないが、卓越した設計スキル、時流を超越したデザイン、人間の心理や物事の本質を見据えたコンセプトなどを特徴とする。
【略 歴】
1885年スウェーデン・ストックホルムに生まれた。父は税務署の役人であった。少年時代に画家を志したアスプルンドは、父と絵の教師の反対によりその夢を断念し、ストックホルムにある王立工科大学で建築を学んだ。
その後、北欧諸国で北欧新古典主義が主流となる1910年代後半から1920年代にかけて影響力を増し、1920年の「森の礼拝堂」や1923年の「スカンディア・シネマ」、1928年の「ストックホル厶市立図書館」など、前半生の代表作をつくった。
1930年開催の「ストックホル厶博覧会」では主任建築家に任命され、鉄とガラスを大胆に用いたその近代建築によるパビリオン群が契機となって、北欧諸国が一気に近代建築の時代を迎えたとされる。1931年には、母校である王立工科大学建築学科の教授に就任した。1930年代には、「イェーテボリ裁判所増築」や「夏の家」などの代表作を次々とものした。
1940年に竣工した「森の火葬場」は、「森の墓地」における一連の施設における最後の作品で、アスプルンドにとっても人生で最後の作品となった。コンペ以来、「森の墓地」の仕事ではずっとレヴェレンツとパートナーを組んでいたが、「森の火葬場」を設計する最終段階で施主からアスプルンドだけが指名され、それ以降は事実上彼が一人で設計した作品といわれる。その後、「森の墓地」全体が1994年にユネスコの世界遺産に登録された。これは20世紀以降の建築としては、世界遺産への登録第1号である。
アスプルンドは日本はおろか、ヨーロッパにおいてもその存在が忘れられつつあったが、近年は日本でも展覧会が開催されるなど、再評価が進んでいる。
【主な作品】
スネルマン邸 ストックホル厶(1917-18)
森の礼拝堂・森の墓地 森の礼拝堂・森の墓地(1918-20)
リステール州裁判所 セルヴェスボリ(1917-21)
スカンディア・シネマ ストックホル厶(1921-23)
カール・ヨーハン学校 イェーテボリ(1915-24)
ストックホルム市立図書館 ストックホル厶(1921-28)
ストックホル厶博覧会 ロシア、ストックホル厶(1930)
ブレーデンベリ・デパート ストックホル厶(1933-35)
オクセレースンド墓地の礼拝堂 ストックホルム(1935-37)
国立バクテリア研究所 ストックホルム(1933-37)
夏の家 ステンネース(1936-37)
イェーテボリ裁判所増築 イェーテボリ(1934-37)
森の火葬場・森の墓地 ストックホルム(1935-40)
シェヴデ火葬場 シェヴデ火葬場(1937-40)
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