オーギュスト・ペレ(Auguste Perret)
ベルギー、ブリュッセル生まれの20世紀フランスで活躍した建築家。
鉄筋コンクリート造という新しい技術により芸術的な表現を追求し、「コンクリートの父」と呼ばれる。
【経 歴】
1874年にベルギー、イクセルの富裕な建設業者の家に生まれた。
パリのエコール・デ・ボザールに入学して七つもの賞を獲得するも、中退する。在学中の1890年には最初の建築設計を手がけた。
兄弟で同じく建築家であるギュスターヴ、クロードとともに、父の建設会社を相続した。当時、建材としてまだ新しかった鉄筋コンクリートに注目し、1903年、最初の計画から複数階を持つ建築物、フランクリン街のアパートメントの実現に成功した。二人は早速、鉄筋コンクリート設計専門の看板を掲げた。
ペレは、古典的なシンメトリーやオーダーと鉄筋コンクリート構造の融合を成し遂げた。
代表作のひとつであるノートルダム・デュ・ランシー(ランシーの教会堂)では、ゴシックの空間と、近代合理主義的な直線が組み合わされている。ペレは、安価で、造形性に富むコンクリートを石材よりも優れた材料であると見ていたが、その視点は主にディテールとテクスチャーに向かっていたと言われている。彼の作品にはコンクリートを剥き出しの状態で仕上げとする「打ち放し」が多用され、またプレキャストコンクリートにも多くの実験的作品があり、その影響は計り知れない。とりわけル・コルビュジェ、ワルター・グロピウス等の建築家におおきな影響を与えた。
ペレの事務所には、若き日のル・コルビュジェやベドジフ・フォイエルシュタイン(後に来日し、アントニン・レーモンドと共同で聖路加国際病院などを設計)らが在籍していた。
【主な作品】
フランクリン街のアパート
(1903年、パリ)
鉄筋コンクリート造による最初期の近代建築。
ポンテュ街のガレージ(1906年)
シャンゼリゼ劇場(1913年、パリ)
ヴァン・デ・ヴェルデの計画を引き継ぎ、完成させた。
ノートル・ダム・デュ・ランシー
(ランシーの教会堂)(1923年、ランシー)
東京女子大学礼拝堂はペレを敬愛したアントニン・レーモンドによるコピー。
オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル(世界遺産)
サン・ジョセフ教会(1953年)
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