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秋田駒ヶ岳

田沢、下堂田から秋田駒ヶ岳を望む  2.May.2006

TG家・水板倉


 秋田県中部の米所、仙北平野(旧仙北郡・現仙北市)北部に位置する中仙町の奥羽山脈寄りの山麓にある小さな集落に、かつてはこの地方に多くみられたという「水板倉」を持つ唯一の民家が現在でも残っている。 そんな集落に下の町から徒歩往復5時間以上の道程を楽しんできた。

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2006.5.1 鉛筆・透明水彩

 水板倉とは人工的に造られた池の上に建てられた板倉のことである。 なぜこんな不思議なことをするのだろうと疑問に思うかも知れないが、これがまことに合理的で「先人の知恵の塊」なのである。 この地域は奥羽山脈から一年中湧き水があり仙北平野に連なる水田に注がれ、また家の周りにも引き込んで冬も凍らない池に鯉を飼うなどして利用している。水の豊富な地域なのである。

 道を上って行くに従い広い畑が次第に小さな区割りの段々畑になり杉林を抜けると山を背にその集落は突然現れた。まさにここが桃源郷かという景色で数軒の建物が寄り合うように建っていた。 その中の一段と立派な民家の脇に目的の板倉があった。 そう、池に浮かんで!
例によってスケッチの断りに声をかけたら御当主自ら案内してくれて、倉の内部まで公開してくれた。
明治42年の築造当時は当主の言葉でザク葺き(裂葺き?丸太を立てに薄く剥いだ薄板で葺いた柿葺き(こけらぶき)と同じかそれよりも厚いものかも知れない)の屋根であったが大正12年に現在のようなトタン葺きにしてしまったとのことである。
板倉の規模は間口3間、奥行4間、出入り口側は4尺の奥行に庇を張り出し、袖倉としている。窓は出入り口と反対側に高窓1ヶ所だけで、内部の一部を2階建(ロフトと称すべきもの)、柱は5寸角を2尺間隔で設けて、外部は保護のために下見板の横張である。 土台は 津軽の板倉 と概ね同じである。

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水板倉断面図 床板を外すことにより夏季でも涼しい風が導かれる

 床の中央部は大引に床板を敷き並べただけになっているので床板数枚を取り外すと床下の池が現れ、水上の爽やかな冷気が室内に舞い込んできた。 夏は沢の水で天然クーラー。 冬は湧き水による常温の床下を屋根からすっぽり雪で覆い、さしずめ布団を掛けたコタツの状態。
御当主の話は続く。戦前の米は自由販売で、経営戦略上いかに良い状態で籾を夏の端境期に出荷するかというために湿気ず、乾燥せず、一定の温度で保管するということが重要であったとのこと。
戦中・戦後の米価は統制価格に、戦後の穀物倉庫は器械による一元管理。 そこまで貴方任せになってしまった現代ではこのような倉は亡くなるのも当然なのかと、今の時代にちょっと恨めしさを感じた。
水と大気と木材と・・決して豪華ではないけど「機能は美しい」・・先人の知恵に感服した建物であった。

 ここでは深く触れないが、主屋はまた素晴らしい茅葺き屋根の民家であった。 時代は不明だが他所から移築したもので、馬屋を南に配した典型的な曲り屋を基に増築を繰り返し工夫がなされていて「角馬屋造り」とも「鑓馬屋造り」とも云えるよう変身した姿。 2階屋根裏は個室にも利用して屋根葺きは「兜造り」にもなっていて水板倉の創意工夫に負けず劣らずの建物で、300年は経とうかという立派な杉並木を背景に見事な佇まいであった。



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