このページにはJavaScriptが使用されています。

岩木山

弘前公園から岩木山を望む

弘前で出会う 前川國男


map

 建築家「前川國男」の設計として最初のもの、そして最後のものが本州最北端の青森県弘前市にあるというので、桜の花もそろそろという時期に訪れてみた。
 タイトルの「弘前で出会う前川國男」とは、この町に来て手に入れた「みどころマップ」(前川國男の建物を大切にする会:発行)の表題だが、その活動に敬意を表して使わせてもらうこととする。

 

map

弘前市内地図
赤マークはリンクしています

案内リスト(竣工順)

木村産業研究所1932年竣工
弘前中央高校講堂1954年竣工
弘前市庁舎1958年竣工
(1974増築)
弘前市民会館1964年竣工
弘前市立病院1971年竣工
弘前市立博物館1976年竣工
弘前市緑の相談所1980年竣工
弘前市斎場1983年竣工

県立弘前中央高等学校講堂 弘前市庁舎 弘前市民会館 弘前市立病院 弘前市立博物館 弘前市緑の相談所 弘前市斎場

木村産業研究所

 前川がフランスから帰国(1930)後、アントニン・レーモンドの事務所での修業時代に、前川國男へ指名で設計依頼されたものである。それをレーモンドの承諾の元に前川の構想で設計され、設計者に前川國男の名を冠した最初の作品となったものである。【国・有形文化財】
 木村産業研究所とは弘前藩の重臣で後の実業家・木村静幽の「郷土の地場産業を育てるには・・」という想いが発端で、その孫の木村隆三に託され実現したものである。隆三は駐仏武官としてパリに在住していた際に前川と親交があり、帰国後理事長として祖父の構想を前川に依頼して実現したのである。そして当初から弘前の工芸とクラフトマンの育成に務める施設として、現在は「こぎん研究所」が入居している。

sketch

2010.4.23 インクペン・透明水彩

上:正面図
下:現地での設計模型を参考にした俯瞰図

ポーチとその断面(想像)

 傷みはかなり見られるが、80年という経過を全く感じさせないというのが最初の印象で、ル・コルビュジェ仕込のモダニズムが各所に発揮されている。白い外壁と規則正しく割り付けられた突出し窓という単純な立面に、エントランスポーチの吹抜で大きな陰影を作りだし、なおかつ天井の大胆なアクセントカラーはまさしく師匠から受け継いだそのものであろう。このアクセントカラーは正面右端のピロティ(多分駐車場だろう)天井にも取り入れられている。開口部は細いサッシバーで横繁に割り付けられ、バウハウスにも通づるモダーンなものであるが、残念ながら道路側の窓はアルミ引違い窓に交換されてしまっていた。 内部に踏みこむと、床には小さなモザイクタイルに青い色の同寸タイルで縁取りを巡らし、細部にわたって趣向を凝らしている気配を感じさせる。階段踊り場のアルコーヴ、貴賓室のボウウインドウなどは単調な平面に暖かみを与える曲線であろう。
 玄関ホールに建設当時の図面と模型が展示されていたが、全体の構成はまさにコルビュジェの建物のようだ! 内部の平面計画は大きく変わっていないのがわかるのだが、外部に限っては厳しい冬の環境のためか、各所に改修が為されている。屋外庭園を意図したであろう屋上のフラットルーフは全面的に金属板葺きの屋根で覆われ、凍結でダメになったと想像される正面バルコニーは撤去されて金属格子がはめ込まれている。裏側の出入口庇は凍結の繰り返しで散々な姿であった。弱冠20代の青年にとっては寒地建築の詳細を詰めるには経験が足りなかったのか?とも思わせるが、その後の前川建築での錬りに練った詳細の下地はこの試練から始まったのだろう。

 このモダーン建築が1930年代に建てられた当時はモダニズム建築に対抗してナショナリズムやファシズムの台頭を背景にした帝冠様式が跋扈してくる時代である。中央から遠く離れているとはいえ軍都・弘前でこれだけのモダニズムを成し遂げたのは痛快なことである。
 1933年に日本を訪れたドイツ人建築家ブルーノ・タウトもここ弘前・木村研究所を訪れている('35/5/27)。その時の旅行記には「コルビュジェ風の新しい白亜の建物」という一言だけを残している。 タウトが念頭に置いている歴史や風土との「釣合い」を感じられなかったのだろう、インターナショナルなモダニズムには批判的と思わせる一言である。

▲Back to Map


弘前中央高校講堂

 この建物はここ弘前に来るまでは知らなかったものだが、残念ながら部外者一切校内入場禁止である。しかし有難いことに弘前公園(城跡)目の前にあるので、表道路からこの講堂が見られるのだが、どうも正面は反対側らしい。当然詳しいことはわからないが、遠くからでも十分に前川カラーは確認できる。

sketch

2010.4.23 インクペン・透明水彩

以降、「みどころマップ」から引用して貼り付けておく。
 1954年竣工。弘前中央高校の創立50周年を記念して建てられた。いたる所に見られる柱や窓枠等の織りなす線の美しさ、劇場並みの座席の配置は当時としてはとても贅沢に感じられる。
【みどころ-I】正面入口
 大きなドア、水色の壁、軒裏の赤い色が印象的。特にドアは幅も高さもあり圧倒されるが、、思いのほか開閉が軽いのに驚く。それに対して中のドアは小さく、開閉も思い。そのアンバランスさが対照的で面白い。
【みどころ-II】ホワイエ
 ホワイエの天井は講堂2階座席の段差をそのまま生かした白い階段状の構造になっており、斜めに配置された梁と共にリズミカルな線を描く。また白く丸い照明がポイントになり、ラインの美しさを強調している。

▲Back to Map


弘前市庁舎

 弘前公園の堀に面して建つ、長い建物である。1958年に完成したものだが、さらに1974年に増築されている。

sketch

増築棟(左) と 既存棟(右)  2010.4.23 インクペン・透明水彩

 1958年という年は現・東京タワーが出来た年であり、日本の戦後処理が一段落して高度成長期に入った時代である。この弘前市庁舎もその頃に建てられたもので、貴重な公費を最小の投資で、最大の効果を意図したものだろう、日本の在来工法のように柱と梁を意匠的に表現したいたって構造的に合理的な建物となっている。しかしモダーン建築の巨匠はコルビュジェ譲りの解決をしている。長大な4階の建物を大きな2層の庇で括り、エントランスの吹抜を効果的に扱っている。結果的には単純な2層の建物のようにして、広大な弘前城と対比させたランドマークにしているのだ。このアイデアの基はコルビュジェのドミノシステム(*)を思わせるのだが考えすぎだろうか?
 その後、改修と増築がおこなわれるが同じ手法は使ってない。前川が開発した大型煉瓦タイルを外壁に打ち込んだ外装で柱は一切表現せず、水平を強調した既存建物に対して垂直を強調している。さらに長大な建物にならない配慮と理解した。
 スケッチしている傍で休憩しているタクシーの運転手が話しかけてきた。彼は郷土の建物を自慢していたのだが、増築部分だけを市庁舎だと誤解していた。彼にも同じ建物には思えなかったのだ。ちなみにこの外壁と同じ手法を使っている東京都美術館が翌年1975年の完成である。

 50年程生き抜いている建物を見ると、同じ前川の設計による東京・世田谷区民会館(1959)、世田谷区庁舎(1961・1969)やレーモンドの高崎・群馬音楽センター(1961)のことが気に掛かる。阪神淡路大震災からの耐震問題が発端だと思うのだが、撤去して新建物への建てかえの話が出ているようなのである。用途は違うが、この弘前のように市民に愛され支持されていれば技術的なことは解決される。もっとも大事なことは築きあげてきた文化が守られることだ。

*:ドミノシステム
  コルビュジェが1914年頃に提唱した量産住宅システム。
  6本の柱と3枚の水平版からなる。

▲Back to Map


弘前市民会館

 弘前(城址)公園の中にあり、西側は松林を透かして岩木山を望めるという恵まれた環境である。管理棟とホール棟が長いエントランスポーチで繋がれて構成された市民ホール。

sketch

2010.4.23 インクペン・透明水彩

屋外ロビーからホール棟を望むステージと客席の壁
────────────────────────────────
全景(左が事務棟・右がホール棟)エントランスロビー  吸音ボックス(想像)

 南側(市庁舎側)から入っていくと管理棟が正面なので小さな建物にしか見えないが、回り込んでいくうちに全容を表してくる。エントランスポーチの幅が広いこと、雪国のコミセ(雁木)を思い出させた。雪国ならではの仕掛けであろう。大小の壁で構成された外壁はなぜか学習院の図書館(1963年の竣工)を思い出させる。まさに同じ思想で纏められたもののようだ。(当日は内部非公開だったが事務室でお願いして内部を見て回ることが出来たので以下に記す。)
 1階エントランスからロビーに入ると床の広さに比して何と天井の低いこと! しかし左手(西側)に寄ると、大きな階段が二階へ、天井の高いホワイエに招いてくれる。西側は全て硝子張りで松林が目にはいる。天井のシャンデリアは赤松の肌のように輝く銅パイプで構成されていて、森の梢を思い出させる。エントランスポーチ上部は屋外ロビーになっていて、突き当たりの事務棟にはレストランが用意されている。まさにドラマチックな劇場仕掛けである。
 さて、客席をのぞいてみよう。圧巻は端正に平行に配置された両側の壁である。音響の効果を考慮してのデザインであろうが、複雑な模様が安価なシナ合板を成型したパーツで構成されているのだ。その裏側には空間を設け、吸音材が充填されていることは想像に難くない。亀甲形のステージには反響版が取り外されてあったので、背後の外壁まで見透せる。今でこそシューボックス型の音楽ホールがもて囃されているが、このホールではさりげなく取り入れていたのだ。上野の文化会館と同じような凸面の天井と相成って音響効果の良さが想像される。
 ここまできて気付いたことは、このホールの共通モティーフは成形合板なのでは?と思った。屋外ロビーの手摺はコンクリート成型版だが、着色された成形合板の階段手すり、そして客席壁の反射板、どれも同形状をしている。設計者だけが楽しんだ遊び心だろう。

▲Back to Map


弘前市立病院

 1976年の竣工で弘前の前川建築では比較的新しいものに属すると思うが、たび重なる増築が繰り返されたようだ。

sketch

左:側 面  右:正 面  2010.4.23 インクペン・透明水彩

 病院建築では設備が非常に大事なものとなる。増築のたびに設備にも影響を及ぼすことだろう。さらには日進月歩の設備のこと、建築の寿命と較べて短命である。そのため建物は直線状に配置され、増築も直線の延長か、新たな直線が加えられるという手法を採っている。当然配管は外壁に直接取り付けられ延々と直線状に延びている。まさに工場のようだ。しかしここでも市庁舎のような手法を用いて垂直を強調した建物で片側を押さえてまとめている。

▲Back to Map


弘前市立博物館

 市民会館のすぐ隣りに建つのがこの市立博物館だが、圧倒的な大きさの市民会館に比して、ちょっと奥まった配置からか、実に控えめな博物館である。

sketch

2010.4.23 鉛筆・透明水彩

 市民ホールの内部から出てきて、ステージ裏に回り込んだ場所からのスケッチである。前川お得意の打込大型煉瓦タイルで仕上げられた外壁が、複雑に構成されている。頂部の採光窓は内部ではあまり存在感がなかったが、このアングルからは良いアクセントになっている。
 実はこのアングルに拘って画きたかったのは市民ホールの外壁との対比が、いや、むしろホールの外壁が微妙な曲面(HPシェル)になっていて面白かったからである。そういえばステージは亀甲形平面だった。その柱の出がそのまま形になってるのだ。

▲Back to Map


弘前市緑の相談所

 弘前公園内三の丸にある植物に関しての相談所。1980年に出来た比較的新しいものだ。

sketch

2010.4.23 鉛筆・透明水彩

 前川の弘前での第二作、高校講堂のある県立弘前中央高校の前から弘前公園に入ると桜並木に面して建っている。訪れた日は恒例の「桜祭り」初日とあって、露店が並び人並みが続く。その並木道に向けて屋根を葺き降ろし軒の出を大きくしている。前川建築では珍し勾配屋根のものである。しかしその建物の裏側ではフラットルーフの建物が中庭を形成するように展開している。外壁はもちろん打込大型煉瓦タイルである。

 この配置は既存の桜を避けてのことのようで、中庭中央の桜は見事な大木であった。しかし残念ながら、この年は異常なほど寒い日が続き、桜のつぼみは色付いてはいるものの咲きあぐねていた。

▲Back to Map


弘前市斎場

 弘前に残る前川作品のなかで最後のもの。

sketch

2010.4.23 インクペン・透明水彩

正面全景
────────────────────────────────
休憩室側から車寄せを見る 自転車置場スケッチ

 地図で場所を確認すると市街から完全に離れた場所にある。しかしここ弘前の町は東西南北3km四方でほぼ収まってしまうほどだ・・・ということで、ぶらぶら歩きながら行くことにした。途中の「禅林三十三ヶ寺」というのは慶長年間に津軽地方に点在していた禅寺(曹洞宗)を1ヶ所に集めたものだそうだ。そこを通り過ぎると段々上り坂になり寂しい風景に変わっていく。そして上り道の真正面に少しずつ現れてくるのが目的の斎場だ。
 「緑の相談所」に続く勾配屋根の建物だ。車寄せ全体は寄棟屋根で覆い、斜天井はRCの構造表し、庇先端はあくまでも低く、深く・・アプローチの軸は東西方向だから、岩木山への敬虔な祈りを表現しているのだろうか。 北方向を望むと岩木川が目の前に広がる。
 右手の中折屋根は内部斎場の機能なりの形で、暗い室内に山側の高窓から一条の光が差し込んでいるのが印象的だった。
 左手は待合室で、手堅い打込大型煉瓦タイルの外壁で纏められている。

アプローチ傍らに波形鉄板葺きの小さな自転車置場が気に掛かった。ガスパイプをジョイントにしてスチール丸鋼で構成されている。ありふれた材料で大袈裟でなく手を抜かないデザインが良い。しかしここまでどういう人が自転車に乗ってくるのだろうか?

▲Back to Map


△Back to Top


logo-arc-yama

copyright©2004-2010 Arc-Yama All Rights Reserved