飯能市から秩父方面に奥行った吾野に面白い観音窟があることを知った。
この日は私も加えてもらっている男声合唱団の合宿がこの地でおこなわれる。その前に気になる観音窟を見てみようというわけで、早朝に最寄り駅(西武秩父線・吾野駅)に降り立つ。
岩殿観音窟お堂・窟石龕
参道は当然山道、しかし迷子にならないよう赤い幟が招いてくれる・・・のだが、すぐに急な坂道!途中の案内板ではあと15分の表示、しかし坂道は険しくなるばかり。脚力の弱った小生には企画を誤ったか!と後悔しながら、気持を登山モードに切り替えてようやく到着!!
見事な観音窟である!!色彩鮮やかに手入れされて想像を裏切られた。
案内板には左手の扉から出入り自由・中にはいると照明が付くとのこと。
なんと気配りの行き届いた観音窟だこと・・・と思いながら入るが・・・照明は付かず、中は真っ暗だから霊気は全身で充分に感じました。
正面の蛙股に施された彫刻は見事なもの! 幾度となく塗り重ねられた塗装はどう見てもオイルペイント!漆には見えないがこれでいいではないか!
『新編武蔵風土記稿』より
「觀音堂 これも岩殿の觀音とて、その名一郡に著しく、近郷に聞ふる勝景の地なり、堂は盤巖によりて造れり、所謂桟閣と云ふべきものか、三間半に四間半、十一面觀音を安ず、木の立像長ニ尺四寸、行基の作、厨子に入る、外に十一面觀音一體は、 觀音院の本尊なりとて、此の堂中に置けり、又この堂に大般若経を藏す、土人これを小野篁の書なりと云へど、左にはあらず、」
「岩窟 堂後にあり、此邊すべて巖々たる盤岩にて、その中に自然の穴窟あり、土人これをさして岩殿と云ひしより、即ちこの山を稱して岩殿とは呼べるなり、按に往古は觀音をこゝに安ぜしを、後年に今の堂を造營して移せしものと思はるゝなり、 穴口高さ二三間、幅二間許、奥行七間許、漸く狭く幽邃なり、其中程に石龕あり、縦三尺、横二尺、高五尺許、石板をもて造り、 其前に石門と稱し、同く石板をもて門の形をなす、其中文を刻するもの一枚あり、其文に曰 當寺天性岩窟自然寶石、因行基菩薩手刻十一面尊像、自安置此靈地 以來六百五十歳、始立此石門、其結縁者數百人、具記名字納此
寶殿 大悲照覧悉在此偈、具一切功徳、慈眼視衆生、福楽海旡量、是故應頂禮、文和五年丙申二月十八日、願主比丘元灯 とあり、此外に寄進交名を彫刻せしものありしが近頃何ものか奪去しと云、」 (新編武蔵風土記稿 巻之二百四十七 秩父郡之二)
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