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JR中央本線「国立駅舎」
東京で現存する2番目に古い木造建築駅舎で中央線連続立体交差事業で取り壊されることになっている

一橋大学 兼松講堂


 ロマネスク風に纏められている煉瓦造りのキャンパスの中で、前庭の池と共に一際目を惹くのがこの建物である。

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入口アーチの迫元にある怪獣は唐獅子と見たが・・・・    2006.7.30 鉛筆・透明水彩

 伊東忠太の設計により昭和2年(1927)に創建された建物は、ロマネスクの特徴である単純アーチを繰り返し使用し、外壁に心地良いリズムを刻んでいる。またアーチ迫元には見事な彫刻を施し、怪獣の顔を探し出すのも楽しい。この優雅な外観はネオロマネスクと呼ぶべきものだろう。
こんな歴史的建物も古びて老朽化が進み、近年(2005)改修され、内部も一新された。音響面にも改善の工夫が凝らされているようで最近は音楽ホールとしての使用も度々あるようだ。
因みに建物名称の由来は兼松商店(現 兼松株式会社)から、創業者兼松房治郎氏の13回忌の追慕記念事業として寄贈されたことによるとのこと。

伊東 忠太(いとうちゅうた)
 慶応3年(1867)10月26日 - 昭和29年(1954)4月7日

明治〜昭和期の建築家、建築史家である。
米沢生まれ。少年時代を東京、佐倉で過ごす。帝国大学工科大学(現在の東京大学工学部)卒業。工学博士、東京帝国大学教授。法隆寺が日本最古の寺院建築であることを学問的に示し、その柱のギリシャのエンタシスとの関連を指摘するなど日本建築史を創始した。また「建築進化論」を唱え、それを実践するように独特の様式を持った築地本願寺などの作品を残す。1943年には建築界ではじめて文化勲章を受章した。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』抜粋



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