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箱根山
新宿区戸山公園の箱根山(都23区内で一番高い山である 標高44.6M)

中村 彝(つね)アトリエ


 佐伯祐三アトリエから少し東寄りにこの中村彝のアトリエがある。そもそも佐伯がこの地域に居を構えたのも中村彝がここにいたからとも伝えられている。

sketch

2008.03.08 鉛筆・透明水彩

 当時の画家の職業病か、中村は胸の病に倒れ37才で亡くなる。 その後アトリエはある画家に買い取られ、中村が使っていた状態を変えることなく使用されていた。そしてその画家も亡くなられ、今後どうなるのかは未定である。主の居ない屋敷は立ち入り禁止で、手入れされることもなく荒れ放題ではあるが、裏側から望むと北側の天窓がかろうじてアトリエの存在を感じさせてくれる。
 大正5年(1916)に建てられ、関東大震災(1923)や、終戦間際の度重なる大空襲(1945)にもくぐり抜けてきて、今となっては奇蹟としかいいようのない建物である。
現在、有志による保存運動も起こっているのだが・・・・大変気になる建物なのである。

 中村彝は現在では佐伯祐三ほど有名ではないかもしれないが、当時の画家としては話題の多い人物であった。彼のパトロンは新宿中村屋店主(創業者相馬夫妻)で、店の屋根裏に住み込んでいたという。そしてその娘をモデルに絵を残しているが、果てはヌードまで描き、色恋沙汰になり、店を追い出された先がこの地というわけである。余談になるがその娘のその後はインド独立運動で活躍したラス・ビハリ・ボースと結婚している。中村屋にカレーを伝授した人物である。

(やま)



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