ウィーン分離派
(Wiener Secession)


ウィーン分離派(-ぶんりは, Wiener Secession, Sezession)は、 1897年にウィーンで画家グスタフ・クリムトを中心に結成された新しい造形表現を主張する芸術家のグループ。セセッション、ゼツェッシオンともいう。
ウィーン分離派の活動はアーツ・アンド・クラフツ、アール・ヌーヴォーなどに影響を受け、モダンデザインへの道を切り拓いた。クリムトに見られるように世紀末の官能的、退廃的な雰囲気も漂わせている。

【概 要】

 世紀末のウィーンで展示会場を持っていたのはクンストラーハウス(kunstlerhaus)という芸術家団体であった。
若い芸術家は次第にその保守性に不満を持つようになり、1897年にクリムトを中心に造形美術協会を結成したが、クンストラーハウスはこれを認めなかった。
そのため、クリムトらはクンストラーハウスを脱退して、ウィーン分離派を結成。
絵画、彫刻、工芸、建築などの会員が集まり、過去の様式に捉われない、総合的な芸術運動を目指した。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』抜粋


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