日本 タウトの日記 1933-5-18(木)、19(金)、28(日)


 『日本 タウトの日記』として来日した1933年から離日した1936年までの4年間を当初5冊に1975年に3冊に合本されて発行された。

(訳者:篠田英雄 発行所:岩波書店)
(引用にあたり、原本にできるだけ忠実に旧仮名字体を使用した。)


 ウラジオストクから敦賀に到着したのが5月3日。以来、日本の建築を意欲的に見てまわる日々が続くが、関西を経て関東に到着してからの印象が述べられている部分を引用する。
 逗留先の「帝國ホテル」から始まって、丸の内界隈の建物、公共建築物等々の酷評がつづく・・・しかし東京中央郵便局だけは讃辞が述べられている。

(やま)

1933年5月18日(木) (抜粋)

──前略──

 横濱の近くになると建築はだんだん無味乾燥なものになる、夥しい電力線。やがて東京に近づく、ひどく貧弱な建築だ、それでも線路の片側には多少すぐれた家屋がないでもない。この邊の日本家屋は京都とはまるっきりちがっている。床がもっと高いようだ。それから高層建築のある中心地。これはたまらない!
なるほど、To-kioKio-to の反對物だ。

 東京驛のプラットホームでは下村、石本氏のほかに十人ばかりの建築家、ロシア人夫妻も出迎えてくれる。自動車で帝國ホテルへ、──ホテルのなかは頭を押さえつけられるような感じだ(この建築の外觀もそうだが)。藝術的にはいかものだ。どこもかしこも大谷石ばかり、そのうえ到るところに凹凸があって埃の溜り場になっている(まったく非日本的だ)、仰々しい寺院気分──これが『藝術』なのだろうか。さまざまな階段はさながら迷路である、空間の使用はこのうえもなく非經濟的だ。
ライトに深い失望を感じる。

──後略──

1933年5月19日(金) (抜粋)

──前略──

 自動車で丸の内の公共建築物を見て廻る、──性格というものがまるでない、徹頭徹尾ヨーロッパ─アメリカ的だ。だが緑樹の間の廣い自動車道路はパリを想起させる。首都の中心にある宮城は、クレムリン宮殿のようだ。濠と石垣とはすぐれた安定感を與える。石垣の稜線がやや反りを帯びている。御濠の斜面に植えてある樹、繪のように美しい風景だ。

──中略──

 諸国の大使館を見る、──アメリカ大使館はひどいものだ、ソ聯大使館はモダンだがなかなか良い。
 十年このかた建築中の新國會議事堂、骨ばかりで冷たい、──要するにアカデミックな仰々しさを搗きまぜたたまらなく嫌なものだ。

──中略──

 『モダン』な建築が最悪だ! ライトの英国大使館は比較的いい。
 商業街を見る、アメリカ風。建物のあちこちが切取られたりしている(許可される高さは塔を除いて31米だという)、最悪の商業的個人主義。ふしだらで、日本風の眼の文化はまったく姿を消している。空にはアドバルン。

──後略──

1933年5月28日(日) 東京の諸建築(抜粋)

──前略──

 吉田(註:建築家・吉田鐵郎氏)、山田(註:建築家・山田守氏)、谷口(註:東京工大教授・建築家・谷口吉郎氏)の三氏といっしょに建築を觀てまわる。
 吉田氏の東京中央郵便局は非常にすぐれている、──震災前の設計だそうだが。吉田氏は最高の力量を具えた建築家であると同時にまた好ましい人物でもある。同氏の建築は極めて即物的だ。
 山田氏の手になる住宅(註:東京都赤坂區(港区赤坂)高樹町所在の鶴見邸)は和洋折衷。日本風の部分は洗煉されている、しかし庭との結合はあまりよくない。鐵窓? 洋風の部分はどこも釣合がよくない、だが『落着いて』はいる。庭も程がいい、イタリー風!
 吉田氏の設計した馬場邸(註:東京都牛込(新宿)區若宮町所在)。日本風の部分は特にすぐれている、この玄關! 客間には高價な木材が用いてある。隠居部屋、これにつづく佛間。浴室は非常に簡素でかつ廣い、鏡臺には日本の習慣に従って蔽いがかけてあった。臺所では夫人が自分で調理している!(全體がまるで宮殿の感じ)堂々とした邸宅だ。建築費は二年前に十五圓かかったという、また庭(築山、石組、樹木、すべて新たに築いたものである)には五圓を費やした。洋間も非常にすぐれている、ただ階段室の用材がベルリン風だ。

──後略──



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