うだつ【卯立・卯建・梲】
『倭名抄』(930年代)によれば梁の上の柱を指すとあり、妻側の小屋束または棟束を指すものと考えられる。
室町時代の民家特に町家において妻側の小屋を屋根より高く突き出して小屋根を付けたもの。当時の『洛中洛外図屏風絵』に散見する。その小屋根は草葺き・板葺きであるから近世のそれと異なり防火の機能はなかったものと考えられる。少なくとも身分の象徴であった。
近世民家において建物の両側に設けられた小屋根付きの袖壁。小屋根は瓦葺きが普通。大和・河内地方の民家における高塀といわれる袖壁もこれに当る。江戸においては「霧除け」といった。一般に関東には卯立はないが、特に大伝馬町一丁目の西側にあった長屋建ての木綿問屋には、各戸の境をなす位置の屋根上に銅瓦の小屋根の付いたものがあったという。小屋束を突き上げて造られた本式のもの。小屋束はそのままで両端の袖壁のみを前方に突き出したもので小屋根はなく、大屋根で兼用されているもの。小屋根付きの袖壁を庇屋根の上に置いたものなどがある。本来は身分の象徴を兼ねていたが、明治以後その色彩を次第に失い、単なる装飾と化していった。防火を兼ねている場合も多く、まれに看板としても使われる。
近世の信濃・甲斐の民家において妻側にある棟持柱。家屋の格式としては低いものとされ、すでに1733年諏訪郡福沢村の書上帳にその名が見える。
この卯立のある屋を卯立屋と称する。「うだち」ともいう。


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