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入間川の紅葉

 今年の気候は夏から冬に一足飛びで、秋の季節はないのでは?・・と思っていたがそんなことはなかった。

矢颪の堰

 矢颪(やおろし)とはこの地域の地名である。ちょっと珍しい地名だが諸説あるらしい。
一つは日本武尊が東征のおり、矢を飾って戦勝祈願をしたという話。 又、平将門が藤原秀郷軍に向かって3本の矢を射た一つが下ったところ(矢下・やおろし)が矢下風すなわち矢颪となったという話・・・その他諸説があるようだ。

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矢颪堰の紅葉 2013.11.27 鉛筆・透明水彩

 「飯能第九」の練習に毎週真面目に通っている。練習は夜なので、行きも帰りも暗い街を通るだけ。 そこで紅葉の様子を見てみようと昼間に出かけてみたら・・・自然は裏切らなかった!

 秩父山地を源流とする名栗川は武蔵野台地から流れも穏やかになり、名称も「入間川」と変わる。その場所に位置しているのが飯能市である。

 高々江戸時代からの話だが、この川は山で切り出した材木を川下の都心に供給する大動脈だった。 大火の絶えない江戸では、荒川から運ばれてくる材木を「西川材」として人気ブランド品だった。その原木を筏に組み、発送する材木の一大供給地の一つだった。 そのためには流れを調整する堰が必要になる。現在の堰はコンクリートで出来ているが、以前は当然、石と材木を組み併せたものだった。400年ほど昔のことはわからないが、きっとこの辺りから原木筏が次から次に流されていったものと確信している・・・と

 ここまで自信を持って書き込んでしまったが、その後の情報によると一寸違うようだ。
 堰は田に水を引くこと、動力として水車を回すためにもうけられるものであって、筏を組むためにあるのではなさそうだ。それよりもこの辺りは雨期になると暴れ川になることが明治の終わりまで続いたとのこと。だからこの堰は水流調整ダムのようだ。しかし現状は上流の土砂によって完全に埋め尽くされ、水深の浅いものとなっている。

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 次のスケッチはここより少し上流の「飯能河原」のものだが、この広々とした川岸が作業する場所だったのだろう。

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割岩橋のたもとから 2010/11/26 鉛筆・透明水彩

 紅葉は多そうなので、次回はそちらに足を伸ばしてみよう。

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飯能河原

 紅葉の時期は難しいものです・・・・・。

 この辺りは名栗川が秩父山地から平野部に最初に辿り着いた場所だ。雨期には激流となり、周辺からは深くえぐられているが、広々とした川岸だ。そのため周辺からは河原の様子は直ぐには窺えない。割岩橋から見下ろしてみるのが一番分かり易い・・・と、橋を渡ってみたが全貌はつかめない場所だ。

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飯能河原の全貌 2013.12.11 鉛筆・透明水彩

 歴史的には江戸末期の名栗から蜂起された武州一揆が最初に結集した場所である。
そんなことを思い浮かべながら川岸を歩いた・・・もう少し先に進もう。

飯能河原の堰
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飯能河原の堰 2013.12.04 鉛筆・透明水彩

 残念ながら紅葉の季節は既に終わっていた! もう師走だからなぁ〜・・・
しかし暖かな岸辺には白鷺がたくさん休んでいて、豊かな川を感じる。 落ち葉の景色も良いものではないか!
この堰は昔から(私の知っているのは60年ほど前のこと)あって、夏になると木の板で堰止め、上流を水浴場にしていた当時の一大アミューズメントパークだった。岸辺の家並みは今もそのまま続けているようでオフシーズンの観がある。

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翌年(2014)の飯能第九も練習が始まった・・・といっても不天候続き。3週目にしてようやく晴れたので、ちょっと早めに出かけて飯能河原の紅葉見物。

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 2014.11.5 鉛筆・透明水彩

 川筋には冷気も流れるのだろうか?凜とした風景。 水面には両岸の景色が一杯に映し出され、童謡「紅葉」の世界だ。 水をのぞくと綺麗なこと!釣り人のそばに行くと大きな鯉が優雅に泳いでいる。その鯉を釣るのかと思いきや、間を走る小魚だと・・・。それをねらうもう一つ、白鷺がしっかりとねらっていた。

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岩根橋

 更にちょっと上流を覗いてみよう。

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岩根橋の紅葉 2013.12.04 鉛筆・透明水彩

 なかなか良い景色でしょ! こんな場所に飯能市街から散歩気分で楽しめるのだ。ただし生活道路からはかなり低く、断絶されているので川縁にたどり着くのは大変だけれど・・・
 日もかげる場所で、寒くなってきた。これで今日は引き返そう。(さー、練習だ)

飯能上水道浄水場の堰

先週、帰途につくために岩根橋を渡ったら・・・さらに上流に堰があることを知った。次回はぜひそれを確認しなくては、と向かった場所。

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飯能浄水場の堰 2013.12.11 鉛筆・透明水彩

 入間川をさかのぼって、この辺りまで来ると山の中の景色に変わる。そう!この川の源流、名栗川なのだ。
右の建造物は「飯能市上水道浄水場」の擁壁。内部は関係者以外立ち入り禁止。飯能市民の大事な上水道の源である。しかしその水源はこの川の堰から取り入れているのか、さらに奥地から配管で導入されているのかは不明。これ以上調べると秘密保護法に触れるかもしれないから、この入間川スケッチもここまでにしよう。

製材所

 川から這い上がってきたら現実の世界。

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大河原の製材所 2013.12.04 鉛筆・透明水彩

 この辺りは製材所が点在している。外材に押されて国産材の低迷が続いていたが、最近はいくらか盛り返したのだろうか? 本物志向で国産材が見直されてきたのならうれしいのだが・・・。

能仁寺

 天覧山麓の能仁寺は紅葉がきれいだと評判なので訪問してみたら・・・

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能仁寺本堂 2013.12.08 鉛筆・透明水彩

 危惧していたように紅葉はみな落ちていた。 そうですね、あと2週間ほど後にはクリスマスではないか!
そして「飯能第九」はあと一週間と押し迫ってしまった。

能仁寺

 能仁寺は、近世を通じて曹洞宗関三ヶ寺の一つである龍穏寺の末寺であったが、飯能地方では20余の末寺を持つ有数の大寺であった。しかし、慶応4年(1868)の飯能戦争で旧幕府方の振武軍の本陣となったため伽藍は焼失し、現本堂は昭和11年(1936)29世萩野活道師によって再建された。

山門脇に掲げられている説明板より(抜粋)

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