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川越の町は、江戸の時代から大火との戦いだった

川 越 2


 この町のアマチュア男声合唱団が定期演奏会をひらくというので出かけてみた。16回にもなるという実力は評判で、楽しみにしながら開演前の蔵の町を10年ぶりに散歩してみた。

大正浪漫通り

 蔵造りの街並みは有名だが、今回はその裏道を歩いてみた。まず最初は「大正浪漫夢通り」と名付けられた通り。

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 2016.05.29 鉛筆・透明水彩

 表の通りと違って車の進入は制限されていて気持ちが良い。ウィークデーのこの早い時間から国際色豊かな観光客で賑わっている。だからか?店蔵も国際色豊かなレストランに模様替え。

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旧武州銀行川越支店 2016.05.29 鉛筆・透明水彩

 この通りのどん尻に構えるこの建物。ここまでのホンワカした雰囲気の通りに、なんと大袈裟な!
昭和2年(1927)に建てられた旧武州銀行川越支店とのことで、現在は川越商工会議所となっている。
建築当時は第一次世界大戦後の好況は弾け、関東大震災の処理で中小の銀行は経営悪化、そんなときの建物だと思うとよく頑張ったね!と声を掛けたくなる。だからこの肘張ったような新古典主義建物は「昭和金融恐慌ものともせず」と発信した商店街の守り神だったのだろう・・・か?

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原田家住宅 旧米問屋「足立屋」 2016.05.29 鉛筆・透明水彩

 さらに住宅街に足を進めると一軒だけポツンと建っている大迫力屋根の建物に出会った。特に最上部の壁のように立ち上がっている箱棟。通常の箱棟は板状の熨斗瓦を積み重ねた程度のものが多いが、ここでは漆喰塗り壁で立ち上げている!だからその両端をおさめる鬼瓦とつなげるために巨大な漆喰の塊(カゲ盛)が盛り上げてある。この左官の技は二階の窓にも見られる。漆喰というものは仕上げたときには寸法が多少縮む。防火性を高めるためには気密性も要求される。だから何段にも襞を作った観音開き扉、更にはその開口部上部のまぐさの襞の仕事はお見事! 表の戸袋下の腰巻きは漆喰黒磨き仕上らしいがその保護だろうか?木製格子で覆われている。 この建物は明治27年(1894)建造の往時は川越有数の米問屋で、棟の高さは川越随一だ、とネットで知った。(市指定有形文化財 屋号足立屋)


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中成堂歯科医院(ちゅうせいどうしかいいん) 2016.05.29 鉛筆・透明水彩

 大正浪漫夢通りは終わったはずなのに突然、こんな建物が・・・・
看板で病院だとは分かるが、なんでピンクの外装? ネットでこの建物を調べてみたら緑色の外装写真もあった。このような木造下見板外装はペンキ塗装は必須で、数年ごとに塗装することになる。その時の知恵で上塗りは下塗りと区別できる色を使用することがある。だから緑と反対色のピンク・・・と理解しよう。
この病院のHPによると、大正2年(1913)建設、2001年に川越市教育委員会の伝統的建造物指定を受け、全面改修、2002年には"かわごえ都市景観デザイン賞"を受賞とのこと。


 もう少し歩を進めるとドーム屋根の尖塔建物が見えてくる。改修中の「時の鐘」を横目に見て表通りに回ってみよう。

旧第八十五銀行本店

 川越には明治・大正時代の洋風建築も多く残っている。その代表的建物がこの銀行。

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旧第八十五銀行本店 2016.05.29 鉛筆・透明水彩

 埼玉県唯一の国立銀行「第八十五国立銀行」が明治11年(1878)に建てられた。川越の豪商の財力を誇示するものだった。 その後、川越大火(M26.1893)で現在の建物大正7年(1918)に建てられたもの(当時は私立銀行・第八十五銀行)である。

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店蔵の通りを見下ろす尖塔 2016.05.29 鉛筆・透明水彩

 ちょっとお洒落でレトロな建物! 新古典を越えた新ルネサンス?そんな雰囲気を漂わす大きな建物が、コテコテに着飾った箱棟とかんざし一杯挿した鬼瓦装飾の家並みに新鮮なスパイスをふり撒いているように見えるのが不思議。


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