航空公園駅をでると目の前にあるのは YS−11機 と ケヤキ並木の大通り 大通りはさしずめ滑走路か ・ ・
航空公園
日本初の飛行場であった所沢飛行場が戦後の米軍所沢基地を経て、返還後に広大な敷地を「日本航空発祥の地・航空公園」として緑豊かな公園となっている。
航空整備兵の像
航空整備兵の像(左) と 巨大なヒマラヤスギ(右) 2006.12.27 鉛筆・透明水彩
50haもあるという広大な敷地には、大きな樹木がよく似合う。 公園のまわりには「ケヤキ並木」がつづき、公園内には広々とした原っぱと「ヒマラヤスギ」を代表とする高木が立ち並ぶ。
そんな木立の中を散歩したらおもしろい「松ぼっくり」を見つけた。一見バラの花の化石か? と思わせる、直径10センチ程に大きく花開いた形をしている。「ヒマラヤスギ」の足下なので、その松毬だと推察した。
そう!ヒマラヤスギはマツ科なのだッ!
今の公園内では、傍らの「航空整備兵の像」がこの地の歴史を物語ってくれる唯一のものではなかろうか。
航空整備兵の像
この像は、昭和18年、彫刻家故長沼孝三氏(1908〜1993)が第二回大東亜戦争美術展に出品し、翌十九年五月二十一日に、当時この地にあった所沢航空整備学校内に建立されたものです。
翼を抱き、空を見上げる航空整備兵三人の姿は、当時の少年飛行兵や整備兵のシンボルとされていました。
戦後、所沢飛行場は米軍基地として接収され、昭和四十六年の基地返還により、所沢航空記念公園として整備されました。しかしこの像は傷みがはげしかったため、所沢航空資料調査収集する会では、後世にわたりこの像を保存していこうと、平成九年二月、長沼孝三彫刻館(山形県長井市)の協力をいただき、修復工事を行いました。
空への夢と希望を抱いたこの像が、市民のやすらぎや平和への祈りを込めた像として永く市民に親しまれていくことを願ってやみません。
平成十年三月
所沢市
所沢航空資料調査収集する会
(説明版より)
所沢航空発祥記念館
所沢航空発祥記念館 と C46型輸送機(天馬) 2006.6.24 鉛筆・透明水彩
日本初の飛行場であった所沢飛行場を記念して、平成5年(1993)にオープンした。
航空に関する歴史・文化を見ることのできる博物館だけでなく、かつて活躍した実物の飛行機もたくさん展示されている。 のみならず 大きな機体は館外にも展示されている。
展示館は巨大な飛行船のようにも見えて、楽しさを誘う建物だ。(設計:日建設計)
5年ぶりに来てみたが、廻りの景色はまったく変わらず、ただ印象的な記念館入り口オーニングのレモンイエローがいくらか退色していた。これはむつかしい色なんだよね。
C-46A 中型輸送機(天馬)
C−46(天馬)はアメリカのカーチス・ライト社製で1940年3月の試作機から総数3,180機が製造されました。
日本では、昭和30年1月16日、航空自衛隊の輸送機として供与を受けたC−46Dを初装備し、昭和34年12月22日にはC−46Aを輸入して総数47機を保有していました。
自衛隊では災害時などの緊急物資空輸、空挺隊訓練、兵員輸送などに広く活躍しました。
YS-11A-500R 中型輸送機
YS-11は日本の航空工業界が総力をあげて開発した唯一の本格的な近距離用のターボプロップ中型旅客機です。
1962年(昭和37年)8月に初飛行し、182機が製造され、国内需要だけでなく世界各国に輸出されました。
展示のJA8732機は1969年(昭和44年)に製造された第101号機で全日本空輸(株)及びエアーニッポン(株)のご好意により寄贈を受けたものです。
1997年(平成9年)4月13日の大島→東京便を最後に、総飛行時間52,991時間、総飛行回数58,253回で現役を引退しました。
(説明版より)
初夏の寸描
海の日
7月の第3月曜日は「海の日」とした祝日である。合唱仲間の演奏会が所沢で行われ、出かけてみた。
梅雨明け間近の公園と航空博物館 2016.07.018 鉛筆・透明水彩
かつては7月20日は「海の記念日」と呼ばれた記念日で、祝日・休日ではなかった。1995年に「海の日」として国民の祝日に制定され、更にハッピーマンデー制度により土日に続けた月曜日に移動して三連休のボーナス日となった。今年のように7月20日が水曜日の年は決して20日が休日となることはなくなってしまった・・・・そんなことを開演前のホールに隣接する公園で考えていた。
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Mozilla, Chrome, Opera & I.E. に対応(20150123)
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