JR中央本線「国立駅舎」 東京で現存する2番目に古い木造建築駅舎
背後の北口では高層マンションが乱立。南口より早く景観論争の口火を切った
国立市・大学通り
三角屋根の南口駅舎は東京で現存する木造駅舎の中で山手線「原宿駅」に次いで2番目に古く、ロマネスク風なファサードが美しいことでも知られる。その駅舎も現在進行中の中央線連続立体交差事業で取り壊されることとなっている。 駅前ロータリーを起点に3本の通りが放射状に伸びて、いずれの通りもファッショナブルな店舗が立ち並ぶ。 正面に伸びる道路が「大学通り」で、南に位置するJR南武線「谷保駅」に通じる。 (ちなみにこの駅ができる前のこのあたりは「谷保村」といっていた。)
その通りを進んでいくと両側にわたって「一橋大学」のキャンパスがあるのだが、その幅員は全体で40m以上にもなり、国内ではあまりみられない景観となっている。 車道、歩道、自転車道、緑地帯が整然と分離され、ゆったりとした作りなのである。 とくに、緑地帯はサクラ・イチョウ・ケヤキ等々が植栽された並木道で、四季を通して美しい風景を作り出し、日本を代表する美しい街路の一つだろう。 そんな通りに大きなマンションが建築され、「景観」を巡った争いはマスコミにも取り上げられ更には裁判にもなり、最高裁の判決も出てカタは付いたと思われるのだが、改めて通りを歩いてみた。 (紛争の経緯と訴訟内容は後述参照)
「大学通り」とマンション 2005.9.11 鉛筆・透明水彩
問題のマンションはキャンパスを通り越して駅から1km余り歩いたところにあり、その1ブロックの南側に位置している。
それまで歩いてきた特異ともいえるほどの低い家並みから突然空にそびえる高層の外壁。このギャップが問題になっていることは容易にわかった。 そしてそのブロックを通り越して振り返ってみるとそのボリュームの大きさは圧倒的であった。 しかも南側には高圧線の鉄塔が建っているしそれよりも高い建物となっていて、高層に住む人にとっては見晴らしのいい景色のはずが危険を感じる電線を目の前にするわけだ。
 大学通りの断面 道路を挟んだ既存建物群と新建物との対峙
しかし建物際まで寄ってみると、第一印象とはちょっと違って感じられた。 敷地内に高圧線があることにより南側には十分な空地が確保され、また大学通りからは敷地レベルが違うことで建物が植栽で隠され、それほどの圧迫感は感じられないことだ。 また、外からだけの推察だが、建物の造りも粗製乱雑と云うことでもなさそうだ。 すなわち建物際を歩いている限りはそれほど問題になることもないように思った。 都心でこの程度のレベルで出来ている建物は良心的ともいえるだろう。 しかし視線を道路の反対側とか遠くからみた場合は決定的に悲惨な景観になっているのは事実だ。 この種の建物は地域部外者が企画・販売するというのが常だが、
役所側は地元のプライドある景観を守れるマスタープランを常日頃用意しておくことはもちろん 建主側は ちょっとした礼節を持ってまちづくりに参加する意識があれば・・・・と惜しまれる。
都心では設計の常套手段である「建物は道路面いっぱいに寄せ、高さ制限ぎりぎりの高さを確保して敷地内側には可能な限りのオープンスペースを確保する」という手法をこの地に当てはめたと云うことが今回の論争・紛争・悲劇の原因と云うことは明らかなことだ。
敷地外には無関心で建物内部だけを最大関心事とした(違法ではないという)身勝手な計画は、将来のスラム化にもつながることが懸念される。 この「身勝手」という言葉は、近年「合理的」と言い換えられて私たちの身の回りを跋扈しているように思うのだが・・・・
建物のHPを覗くと新規購入者からは見放されたのか、いまだ完売されてないようで売り主にとっても問題であろう。 もちろん市にとっても、近隣住民にとっても、そして新住民にとっても何とも悲惨な結果だけを残したプロジェクトである。
経緯
JR国立駅から一橋大学前を通って南に伸びる大学通りは、けやき並木と広々とした風景が広がり、学園都市・国立のシンボルとして市民に親しまれてきた。国立市では国立駅北口でのマンション紛争を契機に、1998年に「都市景観形成条例」を制定し、建築物の高さを20m以下とするよう要望する内容を定めていた。
大学通りの一角に高層マンション計画(当初18階建、後に14階建に変更)が持ち上がると、強い反対運動が起こった。また、建設反対運動を行っていた上原公子が1999年4月、国立市長に当選した。
マンション事業者が事前協議した段階で、国立市は20m以上の建築を認めたが、マンション事業者が東京都の建築確認を取った(2000年1月)のに対し、国立市では高さ20m以下とする内容の地区計画を作り、市議会でも地区計画条例が議決された(議決の際、反対派議員を排除したとして後に訴訟が起こった=後述)。しかし、地区計画告示の直前に、マンションの建設は着工され、差止めを求める訴訟等も起こったが、結局2001年12月に14階建、高さ44mのマンションが完成。翌年から分譲が始まった。
国立市ではマンション建設時に事業者から開発負担金の支払いを求めるのが通例であったが、このマンションでは受け取りを拒否したという。
訴訟の内容
マンション建設を巡って、行政、住民、マンション事業者らの間に複数の訴訟が提起された
地区計画条例制定時に、制定反対派の市議や市議会議長が不在のまま臨時議長を立て条例を制定したことで、損害賠償を求める訴訟が起こったが一審東京地裁で認めず。二審東京高裁で確定。
住民がマンション事業者らに対して、高さ20mを超える部分(7階以上)は違法であるとして撤去を求めた訴訟(建築物撤去等請求)では、東京地裁が建築自体は適法(条例制告示時に根切り工事を行っているのは工事の着手となると判断)であるが、以前から景観形成を行っていたとして大学通り側棟の20m以上の部分の撤去を認める判決を出した(2001年12月4日)。マンション紛争で既に建築済みの建物に撤去を求めた事例はなく、画期的な判決とされた。しかし、東京高裁で一審判決が取消され建築は適法、景観は個人の利益の侵害とはいえないとして撤去の必要は無いという判決(2004年10月27日)が出され、最高裁判決(2006年3月30日)で確定した。
マンション事業者が国立市に対し営業を妨害された等として損害賠償と地区計画条例の無効を求めた訴訟では一審東京地裁では、条例は有効、市長の発言が事業者を中傷したため損害賠償として4億円の支払いを命ずる判決を出した。二審東京高裁では条例は有効、損害賠償は2500万円の判決であった。 国立市は上告しなかったが、市の補助参加人(周辺住民)が最高裁に上告した(2006年1月)。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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