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目白文化村


 山手線目白駅から西に徒歩15分ほどの地域に、大正期に「目白文化村」として開発された場所があった。 当時のこの辺りは畑地や原っぱ、雑木林が多く、東京市外の別荘や大邸宅が点在しているような地域だった。

文化村マップ K邸 Im邸 Is邸 A邸 佐伯邸 聖母病院 林芙美子邸 中村彝アトリエ 目白倶楽部

案内リスト

日本最初の分譲地はその後の道路で分断されてしまった (マップのボタンはリンクしています)

 現在の地名でいうと新宿区の中落合・中井という辺りを堤康次郎の箱根土地KK(現・国土計画)が大正8年(1919)に宅地開発、大正11年(1922)より昭和4年(1929)まで4回に分けて「目白文化村」として売り出したものである。分譲価格は坪単価50〜70円(当時の大学卒初任給1ヶ月分)、平均区画約129坪とのことで、現在の土地の高価格を思い知らされる。
 そんな先進的分譲住宅地も現在では新目白通りと山手通りで縦横に分断され、かつての面影は消え去ろうとしている。それでも当時の住宅地を想像させてくれるような建物がまだかすかに残っていた。

文化村の面影を残す住宅


K邸
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ライト風の門 と かつてのライト風住宅(想像) 2008.3.16 鉛筆・透明水彩

 立派な門構えである。赤れんがと大谷石の組み合わせで、しかも大谷石に模様が刻み込まれている様はまさにライト風である。しかしその敷地内の建物にはその気配は感じられない。大きな敷地に雑然と数軒が建ち並んでいる。最初の分譲地(第一文化村)であるから、はや80年の経過で世代交代した姿であろう。
その後いろいろな資料で調べてみたら、当時では最大級の区割り敷地で、ライト風の住宅が建っていたという。大正10年(1921)には同じ目白の地で「自由学園」がライトの設計で建設が始まっている。大正の自由な雰囲気がそんな洋風住宅を造ったのだろうか。


Im邸
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2008.3.16 鉛筆・透明水彩

 庶民的規模の住宅であるが、南に張り出した部屋(応接間なのだろうか)の隅切りと色ガラスを使った窓桟の割付、玄関扉も注目である。当時の洋館に定番であるシュロが時間の経過を感じさせるほど高く伸びて正面に植わっている。 見事に大正ロマンを感じさせる建物である。


Is邸
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2008.3.8 鉛筆・透明水彩

 かなり規模の大きな住宅である。玄関までのアプローチの立派さは人の出入りの多さを感じて、庶民の住宅とは思えない。そう、歴代首相を務めた方の自邸であったが、それも戦後取得したもののようだ。建設は関東大震災後(大正末期?)の住宅と思われるが、ハーフチンバーの切り妻屋根は当初からのデザインポイントであろう。その後増改築が当初の雰囲気を壊すことなく進められて現在の形になったと推測する。 左手前1階の三角屋根はティールームであろうか、公的なパーティーに、また私的なサロンに使われたのかと想像すると生活ぶりが偲ばれて楽しい。


A邸
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2008.3.8 鉛筆・透明水彩

 1階は洋風、2階は和風という和洋折衷住宅である。大正から昭和初期の生活形態は伝統的な日本様式なのに、外形は欧米の自由に憧れて洋風に、というのが中産階級の理想住宅であった。ここでも玄関と応接間・書斎だけは洋風に、その他は和風にしてあるようである。
 この敷地はきっと見晴らしが良いのだろう、2階のサンルームと思しき、思い切り拡げたガラス張りの広縁は伝統的日本様式にも新しい生活の息吹を取り入れたものではないだろうか。
 ガラス戸の桟の割付に当時のモダーンな文化を感じる。


文化村に隣接する著名な建物

ここから文化村に隣接する周りに目を移してみると以下のような建物が近くにある。

  • 佐伯祐三アトリエ(設計:?)

  • 中村 彝アトリエ(設計:中村彝自身か? T5)

  • 林 芙美子 記念館(設計:山口文象 S16)

  • 聖母病院(設計:マックス・フィンデル S6)

  • 目白クラブ(学習院 旧 昭和寮)(設計:宮内省内匠寮・権藤要吉 S3)

目白文化村の二人の画家

大正の時期に日本最初の分譲地が豊島区に「目白文化村」として開発された。そこでアトリエを構えて創作活動をしていた二人の画家が《中村彝(つね 1887-1924)》であり《佐伯祐三(1898-1928)》である。

佐伯祐三邸のちに佐伯祐三アトリエ記念館
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2006.3.5 鉛筆・透明水彩

 「家」で紹介した「佐伯祐三アトリエ」だ。大阪出身の佐伯がここに新婚家庭の居を構えた当時、決して売れっ子画家と云うことではないのに、土地と建物を手にすることが可能だった。良い時代である。いや、現在の高価格な住環境が異常なのである。

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2011.10.8 鉛筆・透明水彩

 

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佐伯祐三アトリエ記念館 2016.10.02 鉛筆・水彩

 最初に訪れてから10年にもなるが、見違えるような記念館としてアトリエが保存されている。しかし分かりにくい細い路地づたいで辿り着くことは変わりない。当時の土地開発のお粗末さが暴露されたのだ。


中村彝邸アトリエのちに中村彝アトリエ記念館
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中村彝アトリエ記念館 2016.10.02 鉛筆・水彩

このアトリエはあるじ亡き後、ある画家により保存利用されていた。その当時は邸内をうかがい知れない状態だったが4年ほど前にようやく区に移管され記念館として古材の再利用で復元された。その頃にも訪れたがあまりの様変わりに驚いたものだ。今回は多少の植物が根付き「植栽は建物の七難を隠す」とはよくぞいったものだ!・・・と、実感する。


聖母病院(設計:マックス・フィンデル S6)
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2011.10.8 鉛筆・透明水彩

 


目白倶楽部(設計:宮内省内匠寮・権藤要吉 S3)
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2007.7.28

 


旧林芙美子邸(設計:山口文象 S16)
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(工事中)


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参考文献:「新宿の散歩道−その歴史を訪ねて−」 三交社
「目白文化村」に関する総合研究 (財)住宅総合研究財団


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