
190519
中山道_1 (軽井沢宿を中心として)
追分宿 中山道六十九次のうち江戸から数えて二十番目の宿場。 茶屋つがるや「追分宿」の西端、旧道が国道18号線に合流する位置に只一軒、当時の茶屋が残っていた! ![]() 茶屋つがるや 2017.08.05 鉛筆・透明水彩 どの宿場も建物が集約された場所だから一種の城塞の形を成してる。そのため宿場の出入口は宿場の警備・荷物の集積等の役割もあったのだろう、外部から直進できないようにクランク状に通路が設けられ、結果的に多少の広場が形成される。その形から「枡形」とよばれるものが城下町と同じように設けられる。
「茶屋つがるや」の正面図![]() 茶屋つがるや 正面図 2017.08.05 鉛筆・透明水彩 いかがですか!建物の二階外壁に二間に渡る見事な鏝絵。建物の一階部分は現代のアルミサッシに換わられているが二階部分は当時の雰囲気を伝える。特に二階建の階高に注目!江戸時代の建物は街道筋に二階建の建物で街道を見下ろすことはタブーで庶民の建物は屋根裏といっていたのだ。そのためギリギリの高さに抑えて二階建を誤魔化す努力。 追分を後に国道18号に沿って歩いてみると程なく「中山道」から「北国街道」が始まる分岐点に差し掛かる。 分去れの道標(わかされのみちしるべ)![]() 分去れの道標 2017.08.05 鉛筆・透明水彩 この常夜灯のある三角地が「分去れの道標」と云うそうで、いろんな石が立っている。手前の石には「道祖神」なる文字が・・・その後ろの石碑正面には「東 二世安楽 ・・・」どんな意味?
中山道(旧道)は国道18号を跨いで反対側から次の宿場へと続く・・・ 小田井宿 「追分」から旧道に入ったこの道が至って快適!高木の木洩れ日を受け、爽やかな風に背を押されるように歩が進む。たまに行き交う自動車が道を訪ねる不思議さ。ちらほら見える別荘らしき小屋が垣間見られる森の中の下るだけの舗装道路が延々と続く。 宿場手前のある民家この宿場間は約五キロ程だが、さすが疲れてきた頃に宿場の気配・・・そんな町の取っ掛かり民家にであった。 ![]() 養蚕農家? 2017.08.05 鉛筆・透明水彩 総二階建の民家で屋根には桁行き五間にも渡る越屋根がある。この形態は明治時代の養蚕産業を支えた蚕を飼育する民家の形である。妙義山の向こうには「富岡」があるのだから、それを支える産業はここまでも広まっていたと云うことだ。 小田井の旅籠![]() 五キロほどの行程で標高が200メートルほど下る。標高に反比例して気温は上がるのを実感、足取りも重くなる。そうしてなんとか辿り着いた「小田井宿」は大変整った町並である。町全体が浅間の麓だから南に傾斜していて、脇の水路が気持ちいいくらい速く流れている。しかし観光地化していないからお休み処なんて用意されていない。かろうじて道端の小屋を見つけた!バス停留所である。数時間に一本という貴重なバスの時刻表は後数分で来ることを発見!この歩きもここまでにして最寄り駅(信濃電鉄・御代田駅)に直行することを決めた・・・のだが・・・なかなか来ない。よく見れば土・日は運休。万事休す。そうなればと、ここで椅子を取り出し本格スケッチに切り替えた。
![]() バス停からの小田井宿 2017.08.05 鉛筆・透明水彩 道を挟んだ左右の建物は旅籠屋の典型例。駒返しの見事な格子をおもて面に巡らした見世と大戸の取り合わせ。二階にも出窓を広く取った部屋は宿泊場所。さらに覗き窓は布団部屋?ここから殿様行列も見物するのだろうか? 本陣跡![]() 小田井宿・本陣跡 2017.08.05 鉛筆・透明水彩 「小田井宿」で忘れてならないことが一つ。この街道は参勤交代で殿様行列が通った道。しかし隣の「追分」「沓掛」「軽井沢」ほどの知名度はないが、大名ではなくお姫様の宿泊がこの「小田井」だったという。今風で云えば「女子会御用達」。徳川に輿入れした和宮もこの宿場町にお泊まり〜ぃ! 中山道小田井宿・本陣跡(安川家住宅)![]()
昭和53年6月1日 御代田町教育委員会 残念ながら内部は非公開のようで、道に表示された情報だけで内部を窺い知ることが出来ない。 旅籠のあれこれ当時の姿を偲ばせる旅籠屋のいくつかが保存状態よろしく保たれているので、それを正面図で纏めてみた。 ![]() 小田井宿 2017.08.05 鉛筆・透明水彩 どの旅籠屋も街道ぎわに建てられていて、二階は道路側に張り出した形(船竭「り)をしている。 ![]() 小田井宿 2017.08.05 鉛筆・透明水彩 一階部分は時代の変遷で使用方法が変化しているから、残された形からもとの建物を推測するのは難しい。しかし二階部分は階高の低さが幸いして他の転用が余り成されていないようで当時の姿と想像する。 勝手に葺き替えた「問屋跡」![]() 当時の姿を想像した立面図 2017.08.05 鉛筆・透明水彩 当時の姿の勝手な復元は、問屋と云うことから運搬手段としての現自家用車車庫を馬小屋に、薪置き場を兼ねた場所とする。入口は大戸だろうがそれには手を加えず、内部の大きな土間にやはり大きな囲炉裏を想像、そのための大きな吹抜と煙出しを付け加えている。 石仏のいろいろ朝から一日中、大いにきまぐれ散歩を楽しんだ。そろそろ引き揚げようと街道の裏を歩いてみたら思わぬ石仏郡に遭遇。 ![]() 小田井宿 2017.08.05 鉛筆・透明水彩 醸造業の家だろうか?黒塀の角地に沢山の石仏が並べられていて、季節の花が自生している。石塔・石仏にはしめ縄が付けられ、交通安全を願っているのだろうか? 参考文献: |
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