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Mt.Iwaki

青森市内から八甲田山を望む 24.Apr.2005

三内丸山遺跡


sketch

2004.8.13 鉛筆・透明水彩

この遺跡は村落の出来方をいろいろ示唆してくれる。
先ず驚いたのは集落の中心となる集会所と思われる大型竪穴住居跡があること。それに並んで物見台?とも推測される大型掘立柱建物跡があること。さらにはそれらに並んで倉庫群と考えられる掘立柱建物跡があること。
このような規模で村・町の公共建造物がBC3000年の頃に存在していたことである。

sketch

2004.8.13 鉛筆・透明水彩

そしてそれらに隣接して、上図のような住居と想像される竪穴住居跡が広がっていると云うことである。
またこの集落には道路・入り江・墓地・ゴミ捨て場・・等々まちの体をなしているのだ!

我が国の建物の歴史を考えるとき、北方系の竪穴住居と南方系の高床住居の2系統としてよく云われているがここでは同居している。
生活に密着した文化がすでに存在していて、居住性の良さを考えると竪穴式を選択し、穀物その他の保存を考えると高床式を選んだということであろう。
現代の住宅を考えると必ず床を上げた構造にしているが、これをヒントに見直してみるのも良いのではないだろうか。


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