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新宿御苑
新宿御苑内のイギリス風景式庭園 かつては皇室のゴルフ場でもあった (Photo & CG : by やま)

新宿御苑


 新宿御苑は、東京都新宿区と渋谷区に跨る東京都内有数の広大な庭園である。 それもそのはず、徳川家康が江戸城に入場した際、譜代家臣・内藤清成に江戸の西部要衝として与えた江戸屋敷の一部なのである。その土地は、東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保に及ぶ広大なものであった。 そして現在では、環境省が・皇居前広場・京都御所と並び管轄する数少ない公園(「国民公園」と云う)の一つである。

はるのうらら

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2006.4.6 鉛筆・透明水彩

 公園の真ん中に立って周囲を見渡すと高層ビル街のど真ん中にある公園であることがよくわかる。まさに砂漠の中のオアシスだと実感する。
ひときわ目に付くのがNYのエンパイヤーステートビルのような「NTTドコモ代々木ビル」。


イギリス風景式庭園

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2005.4.5 鉛筆・透明水彩

 皇室の御料地時代から当時の「欧化政策」の一環だろうか、庭園にもイギリス式・フランス式と、西欧を真似たものが造られた。そしてその頃のこの辺りにはなんと宮殿が建っていたとは!

 公園内のどこからでもこの「ドコモビル」だけは視界からは消えない。 周りの建物と比べてみても、群を抜いて高い建物なのだ。

「NTTドコモ代々木ビル」の秘密!

 実はこのビル、建物の下半分だけが建物で上半分は鉄塔アンテナだということをご存知でしょうか?
 「高さ240mで地上27階建て」というのがこの建物の公表データだが、この高さから逆算すると頂上までは50階分以上の階数となる。 案の定、屋上は建物の中程にあり、それから上部は屋根もなく雨が降れば濡れる巨大屋上なのだ。 その屋上の鉄塔を建物と同じ外装で覆ってあるから、新宿方面からよく見える大時計はすでにその外壁部分にあるのだ。
その建物部分だけをみると、その更に下半分(14階分)が事務スペースでその他はあの携帯電話のFOMA関連機械室になっているとのこと。すなわち建物全体がFOMAの巨大基地局なのである。
 異様な高さだけを誇る塔のような建物(?)だが、この公園に異質な構造体を剥き出しにすることなく、更にはアールデコ風な意匠で覆った配慮は、ここ東京新宿のカオス状態とも云える繁華街に爽やかな一石を投じたものと解釈したい。

 
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大木が似合うイギリス式庭園  2008.4.9 鉛筆・透明水彩

 高さ40Mにもなるというこの巨木は我が国に始めて取り寄せられたユリノキ。 その他にも大きなヒマラヤスギが広いイギリス式庭園の原っぱを見下ろしている。

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【新宿御苑】 穏やかなイギリス風庭園の桜 2012.4.4

 

2016追加

毎年行われる春の集まり。この歳になると仲間が一人、二人・・・と欠けていくが、このサクラ組はまだ全員健在。

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 2016.04.06 鉛筆・パステル

今年のサクラは開花宣言から天候不順でようやく本日が満開・・・そしてこの日は久しぶりの好天気。
ここ新宿御苑はウィークデーだというのに入園者殺到で、入口は大混乱! この苑内ではアルコール御法度でそのチェックのおかげです。

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 2016.04.06 鉛筆・透明水彩

苑内のサクラの賑わい!それに劣らず人の賑わい!交わす言葉は日本語だけではありませんぞ。人を避けて芝生の広場を歩いていると、ここは日本か?不思議な気分になる。
人集りから離れたところで腰を下ろしてお気に入りの大きなユリノキを描いてみた。
アルコール御法度でも、いつものように友人事務所を占拠して、花見という筋を通しました。


新宿御苑の園遊会?

今年の冬はおかしな天気だった。なかなか春にならないかと思いきや、突然五月の天気になったり、真冬に戻ったり・・・三寒四温という穏やかな言葉を忘れたかのような気候だった。そのため桜も戸惑ったのだろうか?例年になく早咲きの開花宣言がなされた。ソメイヨシノは3月中でほとんど咲き終わったが、その後の4月の花見をしてみた。 場所は恒例の新宿御苑。

中の池を見渡すレストハウスを背景に咲く枝垂桜。  2013.4.4


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当日のスケッチ風景写真です(写真提供:mn-arima)

 御苑内の中の池・下の池になだらかに連なる芝生で昼食。そこで画帳を開いての一枚。負け惜しみを言うわけではないが、ソメイヨシノを凌ぐ見事な枝垂桜。主役の花の種類はよくわからないが、左側の桜は「バイゴジジュズカケザクラ」という牡丹のような厚ぼったい花の連なりも見事。遠くにそびえるケヤキは新芽がまぶしいほど綺麗だ。そして「花より団子」、その後の酒席はいつもの様に盛り上がった。


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【新宿御苑】 滝のように見事なしだれ桜 2012.4.4

 



フランス式整形庭園

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正面奥はイギリス式庭園。 2008.4.9 鉛筆・透明水彩

 両サイドに整然と植えられているプラタナスの並木。中央部は幾何学的に刈り込みされた庭園部分。かつては正面に宮殿のような建物があったと聞いたことがある。

このプラタナスもユリノキと同じように我が国最初に植えられたものだが、二つともここの植物園で殖やされて現在の街路樹へと広められていった。

翔天亭

 西側領域を独占している日本庭園の方に近寄って行くとこのビルは更に大きく感じられ、公園の主役は完全にこの高層建物になってしまう。 しかしそれもこの辺りまでで、更に進んで行くと視野は高層建物の足下だけとなり、回遊式庭園を巡る頃にはこの高層建物の箱庭のごとき付属施設に思えてくるからおもしろい。

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2006.4.6 鉛筆・透明水彩

 その日本庭園を一望する小高い丘にあるのが お茶室「翔天亭」。 南面する明るく開けた芝庭を借景にしたこの茶室は侘茶に対しての書院茶を意識してのことだろうか。 その景色の先には中国式の建物(台湾閣)が見える。

近くの梅林には「楽羽亭」も建てられている。広間・小閨E立礼席を用意(侘茶を意識?)したお茶室である。 立礼席(りゅうれいせき)では、点出しで呈茶を行っているとのこと。

翔天亭

 翔天亭は、明治39年(1906)に新宿御苑の造営とともに建造され、昭和20年(1945)に戦災で焼失したため、昭和29年(1954)に再建したが、平成3年(1991)に建替えが行われた。
 和室(8畳)と土間(腰掛15席)があり、豊かな緑を愛でながらゆったりとした気持ちで茶事をたしなむことができるよう、土間の正面と側面には広いガラス戸を多く用い、芝生や四季の樹木が一望できるよう配慮されています。
 平成元年に御苑で行われた、昭和天皇の大喪の礼の際に建築された葬場殿の資材の一部が柱などに使用されている。

参考:国民公園協会HP


台湾閣(旧御凉亭)

 この建物名は「台湾閣」と思っていたが大陸に配慮してか、そうはよばれていない。
「旧御凉亭」というのが公式名称であるようだ。
昭和天皇のご成婚記念に台湾在住の邦人有志による寄付金により造営、献上された閩南(ビンナン)地方(台湾対岸の福建省南部)の建築様式の本格的な建物である。 古くから、さらには清朝末期・日本統治期にかけて、近隣の大陸沿岸から台湾に移り住んできた本省人の言語(台湾語)は閩南語の変種だといわれるくらい閩南地方と台湾は文化的には近い。

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2006.4.6 鉛筆・透明水彩

 日本庭園の一角に水上に浮かぶように立つこの建物の外観はあまりにも異国的で不気味だが、少し薄暗い内部に入ると意外に開放的で、池に面して巡らせた回廊に立つと「翔天亭」に連なる芝庭が眼前に広がり気持ちが良い。 北向きに視界を演出したことからくる眺めの良さは、亜熱帯の彼の地に取り入れられる手法なのだろうか。
当時の新聞紙上では「水の上に建つご休憩所」「夏の御散策の際に涼をとる建物」と、その設計意図を語っている。

 昭和3年に竣工されたこの建物は、本格的中国風建築の日本における数少ない遺構として貴重なもの、と評価されて平成16年3月東京都選定歴史的建造物に選定されている。
設計は森山松之助で、台湾総督府の土木技師を勤めた建築家。「台湾総督府」は氏の代表作。その庁舎は現存し、中華民国の総統府として使用されている。

建物概要

note

説明板より抜粋

主室の卍形は中国の庭園建築に見られるモチーフで、この図からもよくわかる。


大温室

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左は椰子も茂る大アーチ温室、右は熱帯スイレン室 2007.3.21 鉛筆・透明水彩


この煙突とバックヤードが裏方を支えている
photo:2007.3.30 by mn-Arima


 江戸から明治への大変革期に、この広大な内藤家屋敷の一部を「内藤新宿試験場」として、我が国の近代農業、園芸の発展に重要な役割を担うのだが、はや明治8年(1875)には約100m2のガラス張り無加温室が建てられた。 その後加温式の温室も完成、明治時代には1,300m2に、大正時代には3,000m2にも広がり、日本の温室園芸の先駆け・発祥の地となった。 現在の大温室は戦後に再建されたもので傷みも激しく、来年度(2008)から新温室の建設工事を始めるべく準備が進められている。


新宿御苑の大温室

新宿御苑の温室は、2008年からの長期工事でしばらく寂しいものだった。それがこの秋(11/20)にようやく開館した。完成した建物は・・・さて?

左手の温室(以前からの育種棟の連なり)に沿っての正面アプローチ  2012.12.15

 かつての温室は巨大なかまぼこ形の温室を中心にして、いろいろな棟が連なるものだった。それが新装成った「大温室」はたったの一棟。木の葉型の平面をしたユニークなガラスボックスである。
今までの巨大な「大温室」の趣はなく、まわりの盛り土に隠れるようにして建つ、いたってコンパクトな建物となっていた。

大木戸口から 2012.12.15

 大木戸口から北面をのぞくとさらにコンパクトなこと・・・そして右手に見える煙突はかつてのバックヤードのもので、今回も引き継いで使用されているようだ。温室は以前の規模より縮小し、さらに現在のエコ技術が消費エネルギーを縮小、効率の良い新型ボイラーはかなり小さくなっているのだろうと推察する。何しろ徹底的にパッシブソーラーの設計でまとめられているのだから。


その他の主な建物

 古くは「内藤新宿試験場」として、我が国の近代農業、園芸の発展に重要な役割を担った新宿御苑は明治8年(1875)にはガラス張り温室が建てられ、その後も幾度となく大温室に向けて建て替えられてきた。そして2008年から新たな温室の建設に取り掛かっていて現在工事中である。

旧洋館御休所

旧洋館御休所エントランス と 大樹(ヒマラヤスギ) 2011.04.01

photo:2007.3.21 by(やま)

 明治・大正期には皇族方が度々訪れ、その休憩施設として明治29年(1896)に建てられた。 その頃は皇室の御料地、農園としての新宿植物御苑であり、西側のお狩り場では鴨猟、中央のイギリス風景式庭園ではゴルフ場としても利用されていたというから、クラブハウスと理解すれば分かりやすい。当時のアメリカで流行していたアーリーアメリカンの素朴な建築様式を基調としたモダンな建物だ。
第2・4土曜日には公開されるそうだから機会があれば見てみたいものだ

旧洋館御休所のお隣は大温室(工事中) 2011.04.01

 

新宿御苑(しんじゅくぎょえん)

江戸時代には内藤家の屋敷であった。その後、宮内庁の管理の庭園になり、現在は環境省管轄の国民公園として親しまれている。例年4月上旬、各界の著名人が招待されて、総理主催の「桜を見る会」が行われる。 夜桜は一般公開されておらず、政治家や役所の幹部のみが観桜できる。

  • 1872年  - 農業振興を目的とした内藤新宿試験場となる。

  • 1879年5月 - 皇室の御料地、農園の新宿植物御苑となる。

  • 1906年5月 - 新宿御苑が開園する。

  • 1927年2月 - 大正天皇の大喪の礼が行われる。

  • 1945年5月 - 空襲を受け施設がほぼ全焼する。

  • 1949年5月 - 国民公園となり一般に利用が開放される。

  • 1989年2月 - 昭和天皇の大喪の礼が行われる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』抜粋



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