どんぐり橋と日光橋(熊川水衛所跡辺り)
国道16号線高架橋は、昭和40年(1956)に鉄道と上水を一跨ぎにする新道として設けられた橋であるが、その基となった橋がそのすぐ下流に残っている。この道は埼玉・群馬方面と八王子とを結ぶ主要な日光脇往還(脇街道・脇道)であり、玉川上水を渡るのが日光橋である。しかし車社会となった今日、日光橋を迂回する武蔵野橋が設けられて旧街道は拝島駅が割り込む形で行き止まり、この橋の役目も終わった。
高架橋下は、かつて(昭和38年まで)熊川水衛所があった場所である。水衛所の役目は監視・水路補修・分水の開閉・芥揚げなどの上水管理である。終日管理であるから家族同居の住居があり、多くが世襲制だとのこと。玉川上水では羽村取水口から四谷大木戸の終点までに8ヶ所の水衛所が設けられていて、この熊川水衛所は上流から最初の地点であった。現在では、この先の砂川水衛所と小川水衛所とともに統合されて、小平監視所となってその役を引き継いでいる。
現在のこの辺りは当時の気配を感じさせるものは全くなく、巨大な陸橋とその下に玉川上水緑地として整備されてはいるが、児童遊具が設置されているのが侘しい。高架橋脇のどんぐり橋親柱に付いている明かりが、辛うじて往時の水衛所屋敷を偲ばせるものだろうか。
日光橋は主要な橋であったので傷みも激しく、明治24年(1891)にはレンガ積のアーチ橋の架構が採用された。そして昭和25年(1950)に現在の鉄筋コンクリートに架け替えられているが、当時のアーチを偲ばせる架構である。
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不思議な暗渠
さらに進むと右岸はゴルフ場となり、上水境界まで敷地利用されている。おかげで右岸の歩道はなく、ゴルフ場のエゴが垣間見られる所だ。そして突然樹木の続く緑地帯が断ち切られる。上水の上はコンクリートの地面で覆われているのだ!
上水の右岸はゴルフ場のグリーンから練習場に変わって、ボールが飛び込まないように暗渠にしてしまったのか?・・・と、果てない営利追求を恨んでみた。しかし、後日調べてみたらこれにも戦争の影があった。
この右岸には先の大戦中、戦闘機の滑走路があった。その滑走路を延長する計画で、上水を横切る事になり蓋をされた。しかしその後終戦となり蓋をされたまま放置されたものだという。
今まで歩いてきた心地よい環境が都心の熱帯砂漠に舞い戻りかと瞬時に感じると、水と緑がいかに環境作りに重要な要素かがよく実感できる。
現在は数百メートル続く細長い緑地公園として整備されてはいるが、所詮は人工地盤に設けられた人工の花壇・・・幾ら手入れをしても無駄なことは止めにして、蓋を剥ぎ取るくらいのことをしないと環境回復にはならないのではなかろうか。これだけは歴史的価値を決して見いだせない!
暗渠出口の水の落差は何なのか?・・・とその疑問がこの日を境にして頭の中から離れなかった。
そして現在での結論は玉川上水の勾配に対して構築物が水平に出来ている・・・そのギャップをこの出口で調整しているのだ!・・・ということだ。
(玉川上水の羽村・新宿間の平均水勾配は1/500程度で、500mの長さで1mの段差だ)
もちろん独断的推論だが、滑走路なら水平にしたいし、大戦中の突貫工事なら水勾配を設ける手間も惜しんだことだろう。・・・とすると、この蓋の下は巨大プールなのだぁ〜。
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残堀川交差点
川の名前も、交差点ということもまことにユニークな場所である。
この場所手前の渡しと芥取りの柵で遮られ、行先は見あたらない。玉川上水は消えてしまうの?
ここは残堀川と直交する場所で、なんと玉川上水はその川底を潜り込んだ立体交差なのだ。飲用水である上水だから汚れた水から守らなければならない。それはわかるが、いつからかというと・・・なんとつい最近(?)の昭和38年(1963)からのことだった。
残堀川は狭山丘陵からの湧き水が瑞穂町箱根ヶ崎にある狭山ヶ池をつくり、南東に流れ出して立川段丘を越えて、立川の柴崎や隣町の国立の青柳あたりで多摩川に至っていたらしい。(付け替えで様変わりしている) そこに玉川上水が横断することになり、清流であった残堀川は玉川上水の補給水として注がれ利用された。(そのためそれまでの川下は水を断たれることになり、その手当が砂川用水であり柴崎用水だと推察する。)
しかし明治になって残堀川の水が汚れてきたため、玉川上水の底を潜って南下させる新しい堀の工事をした。明治41年(1908)のことである。
それから昭和の時代になると生活用水の増加から度々の氾濫で玉川上水に浸水することがあり潜る川は逆転して、現在の形になったそうだ。(残堀川の川底をこれ以上低くすることは出来なかったのだろう)
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名主の屋敷門
日を改めて五日市街道を歩いた。砂川三番あたりを中心にして、見事な欅の巨木が立ち並んでいる。この屋敷は見影橋(旦那橋)を渡って南に300mほど下った場所にある。旦那の屋敷と思われる。
二番から三番あたりには、この屋敷を中心にして街道の北側には砂川分水が残されている。現在は水は流れてはいないので街道の側溝として排水溝の状態ではあるが、各屋敷の入口には渡しが架けられ、つい最近までこのような生活があったのかと思わせる地域である。その中でひときわ格式を表しているのがこの屋敷で、分水は街道と少し距離(10m程)を取り、かつての街道と屋敷・用水路との間隔はこの様だったのか!と思わせる。生活に密着した貴重な分水は緑に囲まれ大事にされて、隣の屋敷へと順送りされていたものなのだ。
その屋敷を訪れたが、奥は深く、人の気配も感じられず、やむなく門の前で諦めたが・・・・なんと!その門の立派なこと。表札なんてものもない。そうだろう、知らしめる必要もない家だから。
両袖に潜り戸のある腕木門で、単純な形式ではあるが豪壮なものである。まさに苗字帯刀を許された村役人のものだ。脇にちょっと残っている赤い屋根の塀が水路沿いに巡らしてあった名残だろうか。
右図は正面から右側の水路を見たものである。この屋敷は周りに比べて高いところに位置していて、水路はこの先を転げるように流れていくのがわかる。水のない今の状態では底がよく見えて、刳れているあたりは水車のあった跡だろうか?右岸には街道側から利用できる洗い場も用意されているのがわかる。
この名主は、いつからかは定かではないが、代々玉川上水の見回りを申しつけられていた。そして源五右衛門の時代になると狭山ヶ池から玉川上水への助水堀(整備された残堀川)の見回り役も兼務という地域の有力者である。
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清願院橋(八の橋)
さらに歩を進めていく。宮野橋や千手・千手小橋あたりは又鬱蒼とした緑地となる。こなら・えごのき・いぬしで・えのき・うるし・・・・武蔵野の雑木林が延々と続く。野萱草の花が下草から鮮やかな色を放っている。
そして突然目の前が開け来た。清願院橋に到着である。
この橋は西武拝島線の玉川上水駅前広場になっているが、狭山丘陵の南麓である芋窪から南下する街道(芋窪街道)と交差する場所にある。現在の芋窪街道は上水を潜って交差し、上空では「多摩都市モノレール」が玉川上水駅を越えて走っている。まさに未来都市の様相である。現在の橋巾はモノレール開設事業に伴って平成11年(1999)に拡げられたものだが、旧橋(昭和46年架設)の橋巾4mと比べ、駅前広場となった状態は、まさに上流にあった滑走路の暗渠と同じ過ちを犯していて、都心のターミナル駅と同じ町となってしまった。土地の歴史をよく読み込んで未来に連なった計画をしてもらいたいものだ。広場の真ん中に大きな孔でも開けて玉川上水とその植生を活かした計画ぐらいは誰でも思いつくことだが、そんな提案はなかったのだろうか?
当初から架けられていた古い橋だろうが、橋の由来は不明。ただ、「八の橋」ではあっても様変わりでは「一番の橋」と言える。
なお、芋窪とは「井の窪」と呼ばれていたのが「芋窪」と変わったものらしい。狭山丘陵の湧き水が窪地にたまって、水の少ない武蔵野にとって憧れの場所であったと想像させる。
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小平監視所
清願院橋から300mほど下ると水面が穏やかになる。羽村にあった水門を思わせる構築物が「小平監視所」だ。
かつてはここには川越方面に流れる「野火止用水」の分岐点があり、明治になると小川・新堀方面への「小平分水口」が設けられたところでもある。
しかし現在の玉川上水はここまでで、この水の行先は地中の導管を通して東村山浄水場に送られている。なんと・・・ここからは一滴たりとも下流には流されていないのだ!
この施設は昭和40年(1965)から、当初は「小平水衛所」(番人が上水を護っている感じが良い)として現在と同じ機能を果たしているが、その歴史を振り返ると東京の人口増加に伴う施設の変遷をみせてくれる。
幕末から明治初期にかけてコレラが発生。(飲料水の汚濁が原因と見られる)
東京府は新宿淀橋に濾過施設を備えた淀橋浄水場を完成(明治32年(1899))
戦後の高度成長期を迎え、東京都の巨大化と給水人口の急増・新宿西口の再開発で、淀橋浄水場の閉鎖と東村山市美住町に「東村山浄水場」を新設・機能移転した(昭和38年(1963))
その後昭和40年(1965)には淀橋浄水場は閉鎖されたが、しばらくは玉川上水もチョロチョロと少量の水は流れていたと記憶する。しかし深刻な水不足に伴い完全にストップしてしまった。もちろん野火止用水方面も同じことである。
その後の環境を見直す風潮からか、現在では限定的ではあるが少量の水が流れている。しかしこの水は羽村からの水ではなく、生活排水を処理した水ではあるが、以降の地域の環境を保護する一助に、多少なりともなっているようだ。
・・・・・さてこれからどちらに進もうか?
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