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僧侶・牧師・司祭による 三つの異なる宗教から平和へのメッセージが発せられた!

築地風琴会「平和を願う集い」
(パイプオルガンによるリレーコンサート)


 隅田川畔の築地 明石町 は、最初は浅野内匠頭邸があったことからの地名か?という勘違いからスタート(赤穂と明石は同じではなかった)。「解体新書」という近代医学の書物が生まれた地、芥川龍之介の生誕の地、立教大学の発祥の地でもあるが、明治元年には「外国人居留地」に指定されたという、明治維新からの歴史ある町である。明治8年(1875)にはアメリカ大使館(当時は公使館?)が明治23年(1890)に現在の赤坂に移るまで存在していたし、東京で最古のカトリック教会(1874)、その後に聖路加病院に発展していくイギリス国教会宣教師の病院(1874)と次々に異国の文化が入り込んできた場所である。

 築地にある三つの教会・礼拝堂・寺院に、図らずもオルガン(風琴)が存在している。宗教は異なるが、そのことから「風琴会」が三者で結成されている。

 ニューヨークの同時多発テロ(陰謀説とも囁かれているが・・・)といわれる悲惨な出来事(911事件)から9年目の同日に、三者が宗教の違いを乗り越えて平和への願いを込めた儀式とオルガン演奏をリレー方式で会場を移していくコンサートが行われた。

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築地周辺の案内図(ポイントクリックでジャンプします)

<案内リスト>

カトリック築地教会 聖路加国際病院 築地本願寺

  ここにマウスを乗せると・・・
現在の明石町や江戸時代の海岸線や
堀割(推測)が表示されます
(江戸から東京への進化には驚き!)


町名と由来(中央区HPより)

佃 島:摂津国西成郡佃村(大阪府)の名主森孫右衛門に従って江戸に下った33人の漁師たちが築いた島であることから、佃島と称した。
湊 町:江戸時代、商船が隅田川から上ってきて、ここに荷を揚げたり、はしけの入ったり出たりする港町であったことから、湊町となったようである。
明石町:江戸時代に播州(兵庫県)明石の漁師が、この地に移住したためとも、風景が明石浦に似ていたためともいわれている。
築 地:明暦の大火(1657年)後に埋め立てられたところ。文字どおり海岸に築いた土地ということで築地となった。
小田原町:慶長年間(1596-1614年)、江戸城増築の時、相模国小田原から善右衛門という石工が来て、この河岸を石揚場としたのにちなんで町名となったという説と、相州小田原の魚商が幕府に請うてこの地を開いたためという説がある。
浜離宮庭園:徳川氏の別館だった頃は浜御殿と称し、明治3年に宮内省に属した際浜離宮と改称された。その後東京都に移管され、昭和41年7月の住居表示実施の際に町名として成立した。


カトリック築地教会(Tsukiji Catholic Church / カトリック東京大司教区)

 コンサートのスタートはこの教会から始まった。東京で最古のカトリック教会だそうだが、ギリシャ建築のような古典様式の外観には一寸戸惑いを覚える。石造のように見えるが構造は木造である。

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  2010.9.11 鉛筆・透明水彩

かわいいパイプオルガン

 この教会のHPから聖堂の歴史を覗くと、最初の建物は明治11年(1878)に煉瓦造の聖堂として現在地に建てられたそうである。写真から見事なバシリカ様式の教会と見受けられるが、大正12年(1923)の関東大震災で破壊してしまう。その後昭和2年(1927)に現在の建物が完成して、戦災にも遭わずに今に伝えられているのが現在の聖堂ということなのだ。
「明石町一帯は聖路加病院があったため空襲をまぬがれ、教会は戦災に会わずにすみました」との記述を目にすると、アントニン・レーモンドのことを思い浮かべる。(彼は戦時中、米国に帰国、日本家屋の効果的な空襲をアドバイスしていたと戦後我が国で語られている。その論功で彼の設計した聖路加病院は空爆戦略から外されていたのだろうか。)

(話を本題に戻そう)
 ここの教会オルガンは「ハルモニウム」と呼ばれ、明治中期にフランスから輸入されたものだそうである。パイプオルガンではなくストップがたくさん付いた「リード・オルガン」・「足踏みオルガン」で、芸術的な表現も可能な楽器とされている。言わば懐かしい小学校にあったオルガンの高級版というところか? なぜかその脇に小型パイプオルガン(18世紀様式のオリジナル・イタリアオルガン)が設置されていて、こちらは礼拝室と一緒に並んでいる(右図)。その陰に置かれているのが「ハルモニウム」というわけである。
 しかしこの「ハルモニウム」、音の響かない木造の教会にはリード管の響きがよく行き渡り心地よい。しかしなぜか低音域はフルー管の音色が響いていたのは私の耳の聞き違いだろうか?それともパイプオルガンと連動しているのだろうか・・
(日本でオルガンというとリードオルガンをさすが、西欧ではパイプオルガンのことをいう)

ハルモニウム仕様

ストップ数:11、鍵盤数:61鍵、2つの踏み板による送風、ふいごの構造は圧縮型、
製作会社については不明

オルガン仕様

幅265×奥行90×高さ290cm、パイプ総数:282本、ストップ数:6、
作者不詳の18世紀様式のオリジナル・イタリアオルガン

(築地風琴会案内書より)追記20101230

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聖路加国際病院

 聖路加とはSt. Luke(聖ルカ)のことなので「セイ ルカ コクサイビョウイン」と読むのが正しい。しかし肝心の病院側では「セイロカ・・・」と対応しているのはなぜ?
 外国人居留地が指定された初期(明治7年)にはイギリス国教会長老派の宣教医師ヘンリー・フォールズが病院「健康社」を設立、その後聖公会の宣教医師ルドルフ・トイスラー(Dr. Rudolf Bolling Teusler 1876-1934)が買い取り、明治35年(1902)に聖路加病院として始まる。関東大震災で倒壊したが昭和7年(1932)には聖路加国際病院として再出発している。戦中の東京大空襲でも被害を受けることなく、戦後の米軍接収時代を過ぎると再び現在の聖路加国際病院として続けられ、平成4年(1992)の新病院が完成して現在に至っている。
 聖路加旧病棟の設計は、三人のチェコ出身米国人建築家 A. レーモンド、J. バーガミィ、フェイルシュタインとされているが、A.レイモンドは最終的にはメンバーから降ろされている。レーモンドのモダーンな無装飾性が創設者トイスラーの意に沿わなかったとされている。旧病棟の尖塔に取りつけられた装飾はバーガミニィによるものなのだろう。

聖路加国際病院礼拝堂(Chapel of the St. Luke's International Hospital)
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旧病院の背後に付属して建てられているのが礼拝堂。後方の建物が新病院棟と高層オフィス棟・レジデンス棟
2010.9.11 鉛筆・透明水彩

礼拝堂内

Marc Garnier製の北ドイツバロック様式オルガン
1988年設置


 この礼拝堂は病院の専属施設であり、入院・外来の患者や病院職員の祈りの場なので、こういう機会でないとなかなか入りにくい。しかしリレー最初のカトリック築地教会に溢れた人たちでたちまち埋まってしまい、残念ながら入場出来なかった。持て余し時間をタップリと取ることが出来たおかげで、かつての「外国人居留地」の片鱗を知るという久々の収穫であった。 中に入れなかった鬱憤を晴らすため聖歌隊のホームページから掲載写真を借用して、ここに貼らせてもらう。


 外観からは想像できない本格的なゴシック様式でまとめられた内部のようで、天井の高さは我が国にある教会としては珍しいプロポーションのものだ。さぞやオルガンの音色が響き渡ることかと想像される。

オルガン仕様

外形寸法:幅500×奥行390×高さ1033cm、パイプ総数:2077本、ストップ数:30、
製作/設計・組立・整音:マルク・ガルニエ・オルガン工房

(築地風琴会案内書より)追記20101230

トイスラー記念館(Teusler Memorial House)
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バックは旧聖路加病院で、その背後に礼拝堂が続いている。 2010.9.11 鉛筆・透明水彩

 隅田川河畔に聖路加国際病院の宣教師館として昭和8年(1933)に建てられたもの。 設計者は米国人建築家、J. バーガミニィで、施工は清水組(現清水建設KK)。構造は鉄筋コンクリート造一部木造の二階建。外観はテューダー様式風に柱・梁を表したハーフティンバー(木骨様式)の意匠が見られる。

トイスラー記念館

 昭和8年(1933)病院が新築完成した頃、トイスラー院長が宣教師会館として、また迎賓館として隅田川河畔にある第8街区(現在の聖路加ガーデン)の芝生に建てられたもの。
 此度の聖路加再開発計画に基づき、この場所に移築復元された。

1998年5月23日

(記念館入り口の掲示板より)

 池袋にある壁一面に蔦の絡まる赤煉瓦造りの「立教大学本館」も彼の設計によるもので大正7年(1918)築。そして杉並区久我山にある「立教女学院校舎(S.5)・聖マーガレット礼拝堂(S.7)」も同氏によるものである。

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築地本願寺【本願寺築地別院】(Tsukiji Hongwanji Temple / 浄土真宗本願寺派)

 仏教寺院でありながら石造の異国風建物の雰囲気がなぜかこの歳になるまで私を寄せ付けなかった。東京帝大教授・伊東忠太の設計になるのはよく知られていることだが、このインド風建物・・・よく考えてみればインド発祥の仏教であるからこそ、彼の地の様式を採用したことは伊東博士にとっては当然のことだったのだろう。そしてこの中に西欧文明の結晶とも言える「パイプオルガン」があろうとは・・・信徒は斬新な発想をするものである。

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 2010.9.11 鉛筆・透明水彩

 三会場の中で一番広く、大きなオルガンが設置されている。大小約2,500本のパイプで構成されたパイプオルガンは旧西ドイツのワルカー社製のもので、昭和45年(1970)に(財)仏教伝道協会によって寄進されたという。

 内陣を正面にして大きな期待を持って席で待つ。初めはガブリエリ、J.S.バッハ、フレスコバルディ・・・と西洋オルガン曲から始まり、当寺院の委嘱作品等へと尺八や鈴も交えて演奏される。

横に広がったオルガンでも小さく見えるほどの大空間

 やがて法要が演奏と一体となって進み、数名の奏楽士(讃歎衆)による雅楽が始まってから様相が一変した。広々とした巨大空間ではあるが何となく響きが悪く(残響不足)オルガンには不向きと覚めた気分でいた会場・・・それがオルガンとの競演に、笙(しょう)・篳篥(ひちりき)や釣太鼓(つりだいこ)の音が隅々まで凛と響き渡るのだ。
 外観から想像していた屋根に戴いている火焔太鼓のような巨大構造物は何だったのだろう。室内空間として利用されていれば西欧のゴシック建築に決して引けを取らない響きとなったであろう。 しかし妖怪大好きな伊東忠太博士でもパイプオルガンまでは描いていなかったことだろう。

オルガン仕様

パイプ総数:1990本、ストップ数:26、
製作:ヴァルカー社(ドイツ)、設計:伊藤完夫、組立:渡辺伝/伊藤満、

(築地風琴会案内書より)追記20101230

・・・・・

 昼間から始まった三会場のコンサートも、終わってみるとすっかり暗くなっていて、この大寺院もライトアップされ普段と違った様相。充実した一日を感謝してあとにした。

・・・・・

 後日、NHK番組「ブラタモリ」(10/7)で気になる屋根裏を写しだしていた。なんと鉄骨造のガランとした空間だけであった!!



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Mozilla, Chrome, Opera & I.E. に対応(20150123)


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