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薬師寺の花会式平城京の東から西に移動するのに時間が掛かった・・・(^_^) 唐招提寺![]() 正面に鎮座する金堂 2019.03.30 鉛筆・パステル 端正な金堂の姿! あとでこの寺を調べたら「金堂平成大修理」があったとのこと。 ![]() 金堂と・・・ 2019.03.30 鉛筆・パステル 全体を見渡せる場所で・・・ ![]() 鼓楼 2019.03.30 鉛筆・パステル 時を報ずる太鼓を懸けた楼。鐘楼と相対して金堂・講堂の左右に建ててあるが、楼門ではなく独立した建物であるところが古い形式なのか? この謎が解けた。唐招提寺のHP(https://toshodaiji.jp/)によると「現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれています」とあった。「南都七大寺」に数え上げられるこの寺にはかつては東西に五重塔を配した名刹だったがその姿は消えてしまっている。その代役を担ってきたのがこの2階建ての鼓楼だったのか? ![]() 鐘楼 2019.03.30 コンテ 鼓楼と対に配置されている鐘楼。釣り鐘の奥に見えるのが鼓楼と礼堂。右手に金堂、左手に講堂を配し、四つの建物により中庭が構成されるが、その中庭の意味するものは判らない。 今回の旅行の隠れた目的は東大寺正倉院の校倉造りを目にすること。それが法華堂(三月堂)経庫・に続きこの経堂も発見! ![]() 礼堂の裏にあった経蔵 2019.03.30 コンテ 法華堂経庫は床を支持する柱間が二間に対してこの経堂は三間。校倉造りは原則的に積み上げられた横材一本の間に屋根を支持する柱は建てない。この小さな間口の建物に三間の柱はこの床の強度対策と推測する。これは何を物語っているのだろうか? ここでまた唐招提寺HPで知識を得る。それによると 「唐招提寺創建以前のもので、新田部親王邸の米倉を改造したものといわれ、唐招提寺で最も古い建造物であり、日本最古の校倉です」 ・・・とある。 そもそもこの寺は「多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、新田部親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、天平宝字3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。」とうたっている寺である。 荷重のかかる米倉だったのだ! 唐招提寺に長居してしまった! 先を急ごう・・・ 薬師寺唐招提寺を出て南に奈良時代の尺度で二町(*)ほど南に行くと一里塚のような土の塊がある。そこからかつての薬師寺境内か? (*)町とは道路で区画する単位:当時の一町は130m程と考えられている ![]() 日中の法要を知らせる鐘つき 2019.03.30 パステル 奈良時代から続けられているという華やかな法要「花会式」は一週間続き、この日は六日目の土曜日。 ![]() 華麗な衣装を纏った僧侶達。後ろに続くのが10人の練行衆たち 2019.03.30 パステル 僧侶達が列をなして講堂に進んでいく・・・華やかな衣装! 金堂と西塔![]() 法要が行われる金堂 2019.03.30 パステル 金堂中央に鎮座する薬師三尊は造花で飾られ、囲むように僧侶達が祈願する。そのうち僧侶全員が薬師三尊を中心にして読経しながら構内を駆け回り、蓮の花びらにかたどった紙をまき散らす。(散華) 講堂から見た金堂と西塔(東塔は修理中)![]() 大講堂から見た金堂と東西の塔(東塔は工事中のため素屋根で覆われている) 2019.03.30 パステル 野点席では煎茶が振る舞われ、奉納演奏も行われた。 奉納演奏![]() 大講堂前の演奏 2019.03.30 パステル 大講堂前は立派な野外ステージ。向かいの金堂と向かい合う大講堂の扉は全開して金堂の薬師如来へ激しいメッセージ! ![]() 2019.03.30 パステル 左右のシンバルが掛け合いで入るとかなり大陸的な趣。遣唐使で花開いた天平文化の真骨頂か? 薬師寺の花会式が終わるといよいよ本格的な春がやってきて「奈良に春を告げる行事」と呼ばれる。 【参考】YouTubeから関連動画を紹介しておく 初夜の法要:https://youtu.be/1wqwsxDZ0Xk?t=142 TV番組、極める「薬師寺花会式」より 制作:テレビ東京・グレートデン、制作年:不明 ![]() 参考文献: |
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