このページにはJavaScriptが使用されています。

190519

善光寺

 北国街道の続きです。(しばらく忙しさにかまけて中断していました・・・)
国民的休日で参道の賑やかなこと・・・そして規則正しく敷かれた足許の石畳参道の見事さ!

善光寺は北国街道のルートとされ、参道を中心に形成された門前町・宿場町だったが、こんな立派な舗装が江戸時代から完成されていたことを脇の説明板で知る。

sketch

軒下の金網が物語る・・・鳩に睨みをきかす仁王門 2017.05.03 鉛筆・透明水彩

 参道に興味を持ち当時の姿を調べてみた。信濃國善光寺畧繪圖(しなののくにぜんこうじりゃくえず)によると、舗石幅三間余四町とある。幅が三間なのは理解できるが長さが四町、すなわち400m程の長さだという。地図でその長さをあたると市街の「大門」を越え「大門南」あたりを指すと思われる。この絵図では半分ほどしか描いていないことになる。

sketch

山門 2017.05.03 鉛筆・透明水彩

 本堂が出来てから43年後(1750年)の落成だそうで、当然重要文化財・・・

sketch

本堂正面 2017.05.03 鉛筆・透明水彩

 本堂前では何か人集りが・・・

sketch

本堂前の大香炉 2017.05.03 鉛筆・透明水彩

 参詣者が線香を焚いていた。

信濃美術館

 北国街道の付録です(^_^)
 善光寺境内のすぐ隣が信濃美術館で、それに付随する「東山魁夷美術館」が間もなく改修工事に入り、5月30日までの開館だと云う。しばらくは休館だそうなので廻ってみた。

 ここに来て初めて知った!・・・この東山魁夷美術館ではなく本館の「長野県信濃美術館」が閉鎖・取り壊しとなること!それに伴い附属美術館もその期間に改修だというのだ!

sketch

信濃美術館正面(東山魁夷美術館は左側建物に続き接続されている) 2017.05.03 鉛筆・透明水彩

 この美術館は昨年10月で開館50周年を迎えたという。高度経済成長期の林昌二氏(日建設計)設計のモダニズム建築である。商業建築と違って美術館・博物館という代表的公共建築物でもたかだか半世紀しか寿命がないとは!・・・オリンピックを控えて国立競技場もあっけなく造り替えられてしまうこの国ははたして文化国家なのか?・・・と疑問に思う。

sketch

信濃美術館側面(後は山並みを背景にした東山魁夷美術館) 2017.05.03 鉛筆・透明水彩

 ここ側面から見て初めてこの建物の形を理解する。大きな土手形状は、地形の高低差を処理するため、そして正面の十字形?はその延長上にある善光寺本堂への祈りのカタチだろうか?
興味を持ち烏帽子状屋根の中を知りたく3階に上ってみたが、ロビーは幼児広場として解放はされているものの、肝心のその先は非公開。講堂とされていたと記憶するが、善光寺に合わせた軸線上で祈るが如くの空間なのか?と想いは膨らむ・・・・。

 ネットで解体後の計画を調べてみたら、設計者はプロポーザル方式でつい先日決定(2017/06/05)。新美術館の開館は、2021年(平成33年)の予定とのこと。提案ドキュメントはこちらから閲覧可能。

 日本画に馴染みのない小生だが、東山魁夷の展示には再発見もあり大いに満足したのは云うまでもないことであるが、特に鉛筆スケッチが素晴らしい。
建物のお別れ会として9月30日の夕刻、ラストデイのイベントを開催するとのこと。


参考文献:
 


logo-arc-yama

|問合せ |
copyright©2004-2016 Capro All Rights Reserved
このサイトの掲載記事、図、音源などの無断転載を禁じます。著作権は《きまぐれスケッチ》《Capro》またはその情報提供者に帰属します。