東京・豊島区雑司ヶ谷地域は近世の雰囲気を辛うじて残している東京の数少ない街の一つである。昔ながらの路地裏風景が微かに残されている雑司ヶ谷だが、かつては江戸市民の信仰の場(鬼子母神)だけでなく、幕府の鷹場でもあった。それが皮肉にも明暦三年(1657)の大火を契機に郊外に寺社・武家屋敷が移転し、18世紀以降には現在の豊島区地域の村落は江戸の場末町として発展していった。その最初に成立した町が「雑司ヶ谷鬼子母神門前」で、延享3年(1746)には「雑司が谷町」が成立している。 幸いにも江戸時代の古地図資料が豊島区中央図書館に残されていた。その資料を基に現在の街と当時の村とを比較してみると面白いほど曲がりくねった町並みが理解できる。