この建物を最初に知ったのは2000年の頃、利根川中流域の左岸を散策していて夕暮れになり、近道探しに脇道に入り込んだことに始まる。住宅街の一画になぜか文化施設らしき建物群が突然現れ、普通町中で見かける文化施設とは大分違った雰囲気を持っていた。再訪を心に留めて通り過ぎたが、それが叶えられたのは4年後となってしまった。 その町とは群馬県南部の、日系外人が多く働いていると云うことでも有名な工業都市・邑楽郡大泉町で、施設の名前は大泉町「文化むら」、その中で見つけた「資料館・母屋」が今回取り上げる建物である。
その日も夕方となってしまい、管理者が閉館の支度中だった。とりあえず正面からのスケッチだけを済ませ、さらにまたの再会を楽しみにあとにした。・・・そしてその後の再会は何と5年半も後、最初に紛れ込んでから10年も経過してしまっていた。