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八重根接岸港から八丈富士裾野と八丈小島を望む 2013.09.28 鉛筆・透明水彩

続_八丈島


八丈島有志主催の音楽会に行ってきた。その合間のスケッチです。

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 この島は大きく二つの山で形成されている。西に位置する八丈富士と東の三原山だ。地図を眺めて見ると「ひょうたん島」の形にそっくりである。
山の形を見ると、八丈富士(西山とも云う)の裾野はなだらかに海に至り、極めて象徴的な形をしている。片や三原山(東山)は幾つかの峰を抱えた山々から成り、断崖絶壁で海に接している。この二つの山とそれを繋ぐ平地とで出来ている。

 八丈富士は約一万年前に海中から噴出、直近では慶長10年(1605)の噴火が記録されている。一方三原山は少なくとも十数万年前から噴火活動を繰り返し、数千年前から噴火活動は停止、その長い歴史が隆起や浸食を繰り返し、現在の地形になったそうだ。だから三原山周辺の地形は海抜百メートルもの絶壁で海と隔てられているのだ。
(このような知識は「八丈島地熱館」で説明が丁寧になされていて、そのうろ覚えである。)


日本キリスト教団「八丈島教会」
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八丈島教会 2014.3.16 鉛筆・透明水彩

日曜日の朝、宿を出てスケッチ散歩・・・穏やかな朝なのにこの場所だけが騒がしい。覗いてみたらこの島には似つかわしくない?教会だった。日曜礼拝が始まるところで誘われたが、宗旨が違うとやんわりと断り、そのままスケッチ一枚・・・賛美歌を口にしながら・・・。
その後近くをぶらついたら、何とすぐそばに宇喜多秀家の墓所を発見!

宇喜多秀家の墓
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宇喜多秀家の墓 2014.3.16 鉛筆・透明水彩

 八丈島は流人の島のイメージが強いが、その流人第一号がこの墓の主である。ご存知、関ヶ原の戦いに敗れた豊臣五大老の一人で、この地に49年間過ごしたという。明暦元年(1655)83才で亡くなっているが江戸は4代将軍家綱の時代、当時の墓石は五輪塔の左に立つ卒塔婆の形をしたもので、江戸幕府をはばかる墓所だったことを物語っている。

歴史民俗資料館の高倉
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資料館の2棟 2014.3.16 鉛筆・透明水彩

昔はあちらこちらに見られた高倉だが、十数年前でもほとんど見かけることはなかった。八丈町歴史民族資料館に今回再訪したら1棟増えていた。以前のものは左手(4本柱)のもの。追加されていたのは6本柱の大型高倉である。
二つ並べて描いたら、なかを割って八丈富士が収まった。櫓のようなものは八丈空港の照明塔。

建物に興味がありましたら、別ページ「八丈島の高倉」をご覧下さい。

ふるさとの路・馬路散策路

歴史民俗資料館の脇から緑に囲まれた散策路が続く。三原山麓を遠巻きに付けられたこの路はかなり古いもののようで、この島、最初の集落とされる「大里地区」につながる。

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大里の町並 2014.3.16 鉛筆・透明水彩

八丈富士を正面に、左手には八丈小島も目にして、気持ちのいい場所である。そこで八丈八景の一つとして数えられている。

大里晩鐘

 大賀郷大里には、かつて宗福寺と長楽寺があって、朝な夕なに鐘をついて島民に時刻を知らせる時報の役割を果たしていた。そこで大里の晩鐘として八丈八景にも選ばれていたがその後、両寺とも他地区へ移転したため、その鐘の音も聞かれなくなってしまった。

夕暮れの 秋のあはれに 添ひてまた 入相(いりあい)告ぐる 大里の鐘

蜂須賀 文敏

(路傍の説明より)

ふるさとの家

ふるさとの路でも昔の家並みはほとんど見受けない。しかしここ「ふるさとの家」は昔の家を保存している貴重な一角だ。それも年ごとに充実してきてうれしい限りである。まわりはかつての中心的集落「大里地区」で八丈島を印象づける玉石組の石垣は当時のおもかげをそのまま語っている。バス待ちの間に短時間でスケッチし回った。

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母屋と高倉 2014.3.16 鉛筆・透明水彩

訪れるたびに新たな発見がある。間取りを調べていて至って構造的にも気候風土を意識した合理的な平面だということ。四隅を明快に耐震壁としつつも上部を開け放っていること。「家」の項で纏めることにしよう。

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高倉 2014.3.16 鉛筆・透明水彩

観光用だから立派な梯子を用意してある。歴史民俗資料館の高倉のように、梯子はないのが本来の姿だと推測する。

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閑所と馬屋 2014.3.16 鉛筆・透明水彩

この小屋2棟が今回の収穫。まともな建物としては扱われないので、辛うじて残された石垣で当時を偲ぶしかなかった。ここまで復元し、屋敷群として完成されたのがうれしい。

ミニコンサート

八丈島ピアノコンサートの翌日は、裏方に徹した主催者メンバー達のミニコンサート。

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 2014.3.16 鉛筆・透明水彩

個人宅の庭が芝生の演奏会場に変身。 クラリネットやピアノ連弾で楽しいひとときだ。

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 2014.3.16 鉛筆・透明水彩・パステル

昨日のコンサートのメインゲスト・吉井彩嬢も飛び入り参加。連弾の椅子も慌ただしい。

底土港出航

東京へ帰る日、前回('13/9/30)の船酔いにも懲りず船便を選んだ。今回は快晴で島々を寄港していく様子を観察できそう・・・

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「あおがしま丸」と新待合室(右) 2014.3.17 鉛筆・透明水彩・パステル

海は穏やか。前回の大荒れ接岸の風景がウソのように思い出される。
底土港も見違えるように発展している。 新たな待合室も竣工まぎわで忙しそう。 それよりも新たな発見! 今年から就航した青ヶ島へ向かう「あおがしま丸」だ。 今までの「還住丸」は120トンに対して新船は499トン、一気に4倍の大きさとなって、八丈島の停泊港も底土港となったようだ。(天候により今までの八重根港の場合もあるとのこと)

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御蔵島 2014.3.17 鉛筆・透明水彩

 八丈島とこの島との間に「黒潮」が流れているのだが、天候が良いのでいたって平穏。デッキ最後部に陣取って猫のように昼寝。
 接岸はいつも出来るとは限らず、天気次第では艀(はしけ)で渡るという。 運良く接岸風景を目にする。 飛行機から眺めると断崖絶壁の孤島のように見える島だから案の定、船着場には長い坂道が直ぐに取り付いている。 島の全景はやはり孤高・超然とした表情。 機会があったらいつか訪問してみたい島だ!

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三宅島 2014.3.17 鉛筆・透明水彩・パステル

次の寄港地「三宅島」、この間は意外と短い。船尾にいたから分からなかったが、三宅島から出港して気がついた。左手に見える島は・・・何と「御蔵島」が!あんな近くに!!(参考:伊豆七島地図
伊豆半島最南端・石廊崎からは三宅島・御蔵島が望めるそうだから、結果的には八丈島・青ヶ島まで移動することで先の島を確認できることになる。つくづく海の路を実感する。
この島は火山活動が収まったのか?大勢の乗客が乗り込んできたが、あとは竹芝桟橋までノンストップだからしばらくこのまま猫眠りを続けよう・・・

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東京港 2014.3.17 鉛筆・透明水彩・パステル

乗客が多くなると船内サービスも盛んに?「左舷に潜水艦が浮上しておりまぁ〜す・・・」 そして夕暮れ・・・「まもなく浦賀水道・・・」。夕焼けを背景の東京湾入口はなかなかキレイなもの。
そしてついに、東京港ゲートブリッジ、10時間半の乗船でした。

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