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佐倉スケッチ II


7年ぶりに訪れた佐倉は・・・やはり歴史の一杯つまった街でした。 以前訪問した佐倉の様子はこちら「佐倉藩十一万石の城下町」でご覧下さい。

武家屋敷 (旧但馬家住宅)
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 2014.8.26 鉛筆・透明水彩

 佐倉市は北総台地のほぼ中央部に位置する台地で、佐倉城を守護する旧佐倉藩の城下町。 ここは城に直結し、藩士達が登城する道ではあるが、防御のために複雑に入り組んでつくられている。表通りから見る佇まいはいたって質素。

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 2014.8.26 鉛筆・透明水彩

 裏庭は表とは一変、菜園か?と思わせる生活の匂いを感じさせる庭。 武士と云えども鍬で裏庭を耕す姿を想像する。

旧但馬家住宅

 旧但馬家住宅は、19世紀前半の建築で、河内十郎左衛門屋敷地ののち、天保年間(1830〜44)以後は100石取の井口郡内がこの屋敷に居住していたことが記録に見えます。 明治5年(1872)の時点では、旧禄高20人扶持の岡田陽助屋敷(佐倉城外45番屋敷)でしたが、明治8年(1875)に旧佐倉藩士の但馬氏がこの屋敷を購入しました。

平成2年(1990)には佐倉市が復原整備し、この時に失われていた南側の土間部分を往時の状態に戻しています。

〔平成元年(1989)3月31日市指定有形文化財〕

佐倉市の文化財(建造物)HPより

新町の店蔵と袖蔵
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袖蔵(左)に寄り添うようにして建つ店蔵(右) 2014.8.26 鉛筆・透明水彩

 土蔵造りの店蔵は川越が有名だが、この地にもあった。しかも堂々とした袖蔵と一体となって建っている。 背景は佐倉市立美術館だが、この蔵はその美術館にも決して引けをとらない佇まい!
後日調べてみたら、佐倉市では平成11年(1999)から始まった独自の登録有形文化財制度というものがあるそうで、その一つ「山口家住宅」として登録有形文化財となっていた。

山口家住宅 袖(蔵及び店蔵)

 山口家は裏新町通りの北側に位置し、道路に面して東側の店蔵と、西側の袖蔵と二つの蔵が接続して並んでいます。袖蔵の創建は棟札により明治29年(1896)10月と判明し、店蔵は後の増築と考えられています。袖蔵は意匠に優れており、敷居の傾斜により自動的にしまるくぐり戸があるなど、当時の大工の創意工夫がかいま見られます。

〔平成12年(2000)年2月16日市登録有形文化財〕

佐倉市登録有形文化財HPより

佐倉順天堂記念館
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江戸時代に手術がなされた診療所 2014.8.26 鉛筆・透明水彩

「順天堂」は天保14年(1843)に蘭医・佐藤泰然が、蘭医塾兼外科の診療所として開設したもの。この記念館は安政5年(1858)に建てられた当時の診療所である。当時の医術資料が公開されているが、驚いたことには麻酔の安全性に疑問を持ち、あえて無麻酔で手術したことが述べられてあった。


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