
![]() 駿河台の中心地、聖橋と御茶ノ水駅
駿河台 (江戸時代からの文教地区)一部、「中央通り(神田・秋葉原・上野)」から引っ越し再構成(20150427) ![]() 広重江戸風景版画 この場所は個人的にはあまり興味はなく、避けるつもりだった。しかし今回、いろいろ調べていくうちに貴重な歴史を知ることになった。 湯島聖堂は1690(元禄3)年、5代将軍綱吉によって上野忍ヶ丘(上野公園あたり?)に在った林羅山の私邸内の孔子廟(大成殿)を移築したことから始まる。 まさにこの地は、江戸時代からの「学問所」としての伝統を受け継いだ近代教育発祥の地なのである。 現在、多くの学校がこの近辺に集まっているのは、そうした伝統が息づいているのだと理解した。 ![]() 神田川に沿った 長い坂道 と 長い土塀。 塀の中のさらに奥が「湯島聖堂」 この長い土塀の姿は湯島聖堂を特徴付けるもののようで、江戸時代の絵画を見てもこの塀が必ず描かれている。
湯島聖堂の坂道![]() 2013.12.09 鉛筆・透明水彩 江戸の街から昌平橋を渡るとここからは江戸圏外。左手は神田川なのだが、現在は建物が建ち並んでいて残念ながら見ることは出来ない。江戸の時代は上っていくほどに深い谷となり、名勝地だったようで、広重の絵にも残されている。 湯島聖堂土塀の中に入ると北に直登する石段がある。まさにこの場所はお山なのだ!と実感する。 そして境内に入ると立派な聖堂が! ![]() 階段正面の「杏壇門(きょうだんもん)」。 戧獣や見事な水煙を上げている正吻を載せた屋根は必見 その頂上にある黒い建物が「杏壇門(きょうだんもん)」、それをくぐると広い前庭があり、正面に「大成殿(孔子廟)」がある。どちらも青黒い建物でこれが彼の大陸の孔子様の霊を祀った廟か、と異文化を感じる。 ![]() 駿河台・湯島聖堂・大成殿(孔子廟) 2014.5.11 鉛筆・透明水彩 この廟は幾多の大火や、関東大震災にも遭い、焼失の繰り返しで現在の建物は震災後の1935(昭和10)年に再建されたもので、設計は伊東忠太による鉄筋コンクリート造平家建てである。
聖 橋![]() 2013.12.09 鉛筆・透明水彩 この辺まで上ってくると地下鉄ばかりでなく地上を走る中央線・総武線も橋の下。 神田川沿いの坂道をさらに登っていくと、「聖橋」に出る。ここまで来ると水面は遙か下で、鉄道まで橋の下を通過しているのだ。 かつての名勝地・聖橋から駿河台と言われる台地が本来の姿だが、小石川あたりの水害回避のため飯田橋あたりから浅草橋に向けてバイパス水路が江戸時代に掘削された。それが現在の「神田川」である。そしてこの駿河台界隈は標高も高いので深い谷となり、江戸の名勝地としていろいろな名画が残されている。 ![]() 聖橋から川上を望む 2014.04.08 鉛筆・透明水彩 聖橋に立つとかつての渓谷の深さを実感できる・・・?はずだが、現在は新しい「御茶ノ水駅」建設のために川は工事用足場でふさがれごった返した場所となっていた。 工事現場を越えた先の橋は「お茶の水橋」。 湯島聖堂![]() 聖橋から湯島聖堂を望む 2014.04.08 鉛筆・透明水彩 聖橋の南端から北を見れば湯島聖堂が目の前に。江戸時代はその前の坂道「中山道」を上りながら左手に渓谷の景色を目にすることとなる。この聖堂の北に「神田明神」・「湯島神社」と連なり、江戸を最後にする場所だ。 真下は中央線・総武線の列車がひっきりなしに通過する騒々しい停車場。 ニコライ聖堂![]() 聖橋からニコライ聖堂を望む 2014.04.08 鉛筆・透明水彩 片や、南側に目を向けると駿河台を登ってくる車・車・車・・・それを見守るかのように鎮座しているのが「ニコライ聖堂」・・・この橋は二つの「聖堂」を取り持つ橋「聖橋」だったんだね・・・・ ニコライ堂東京に住んでいながらこの建物に対峙するのはじつは初めてである。 ![]() 聖橋から望むニコライ堂(左) と ニコライ堂正面(右) 2008.3.2 鉛筆・透明水彩 入口に張られていた説明文を引用する
この説明でまず目を惹いたのは設計者がコンドルではなかったということだ。一般的に云われている?のかは分からないが、設計者はコンドルで通っている。イギリス本流の建築を学んで、お雇い外国人として来日した若き青年が、西洋建築様式をすべてマスターしているとは到底思えないので理解できることである。 ![]() 震災前(左)と震災後(右)の姿 竣工当時の写真をwebで探してみたら、屋根に関しては現在の形とはかなり違っていた。鐘塔部分に関しては現在よりもかなり高いのだ。そして関東大震災では崩壊してしまっている。この鐘塔は私にはコンドルの母国、英国国教会のものとしか思えないのだが・・・。設計者のシチュールポフの経歴を調べてみると建築家というより彫刻家としての作家の姿が見えてくる。すなわち綿密な建築図面ではなく建築様式の深い理解によるドローイングを主に描いて、実際の図面作製はコンドルが担当、その時に彼なりに修正が多々成されたことであろう。あえて云えば基本設計がシチュールポフ、実施設計がコンドルということであろうか? しかし現在ではその当時の原図は残っておらず、原案と実施案との比較なんて空想の域でしかない。
決して聖ニコライを記念する聖堂ではなく、聖ニコライによりロシアの建築家ミハイル・シチュールポフに設計依頼して出来た聖堂である。「東京復活大聖堂」の名称が示すように、イエス・キリスト(イイスス・ハリスト)の復活を記念する聖堂である。ちなみに聖ニコライは正面右手に小さな祠(?とは云わないのかな・・・)「亜使徒聖ニコライ記念聖堂」として祀られている。
サイカチ坂 (皀莢坂・皀角坂)![]() 中央右手の樹木がサイカチの木 2014.10.25 鉛筆・透明水彩 駿河台から水道橋に下る坂に、難しい名前の付いた坂道がある。標識には「皀角坂」とあり、「サイカチ坂」と呼ぶ。 マロニエ通り (アテネ・フランセ)![]() 2014.10.25 鉛筆・透明水彩 サイカチ坂をあがるとこの通りに続く。パリの街路樹を冠したこの通りはアテネ・フランセがあるからだろうか?・・・否、その先に戦時中や学生運動、カルチェ・ラタン闘争真っただ中であっても、常に自由思想の先頭にあった学校「文化学院」があったからと想像される。校舎は今年の四月に両国に移転してしまったが、このアテネ・フランセも一時はその建物に身を寄せていたとか・・・。 旧文化学院![]() 2014.11.4 鉛筆・透明水彩 お茶の水の文化スポットを描く〜日本一のスケッチ大会〜の最後の展示「商店会・プチ展覧会」も終わり、作品搬出のついでにマロニエ通りを歩いてみた。カタカナでマロニエというといかにも綺麗なイメージだが、中途半端な枯葉色には幻滅を感じる。(乱暴な絵の言い訳・・・) さらにちょっと先にはいると、こんな建物が・・・・ 駿河台・山の上ホテル![]() 2014.4.13 鉛筆・透明水彩・パステル 現在の日本では数少ないアール・デコの建物。御茶ノ水駅前にそびえる「日本医科歯科大学病院」といい、この町周辺は歴史が一杯つまった町だ!この建物も含めてもう少しスケッチしてみたい場所だ。 神田明神 歴史は古く、730(天平2)年に現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺に創建された。 神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神である。 江戸時代に、江戸城増築に伴い現在地に遷座された。 御神殿は豪華な桃山風社殿として造営されたが、1923年の関東大震災で焼失、鉄筋コンクリート造で再建された。 伊東忠太・大江新太郎・佐藤功一といった近代神社建築・都市建築を代表する建築家による設計である。 ![]() 鳥居とその奥に見える隨神門 2008.2.16 鉛筆・透明水彩 昌平橋から神田山を登っていく「中仙道」のルートを取ると神田明神の鳥居が右手に見えてくる。 鳥居の前は、昔からこんな茶店があったのではないかと思わせる光景である。 ![]()
恥ずかしながらのスケッチ
「令和元年台風第19号」は関東地方直撃で多くの被害をもたらした。 ![]() 神田明神の楼門(随神門) 2019.10.13 鉛筆・パステル 神田明神は台風後の好天気で青空と朱色が映える。人影は少なくても外人観光客は大勢で賑わっていた。次回スケッチ会の場所はないか・・・いいところ見つけた! ![]() 神田明神の本殿 2019.10.13 鉛筆・パステル 境内に踏み込んで驚いた!「文化交流館」というモダーン施設(平成30年12月オープン)が目についた。令和11年が創建千三百年を迎えてだと。朱色一色の境内に総ガラス張りのモダーン建築が赤面しているように感じた。(笑) 湯島天神南から「湯島聖堂」、「神田明神」と続いてさらに北に進むと、千代田区・台東区・文京区の絡み合った地域になる。駿河台・神田山に連なる高台が、ここ「湯島天満宮」で不忍池の湿地帯にぶつかる。 左:「男坂」 │ 右:「女坂」 ![]() 2008.1.26 鉛筆・透明水彩 「湯島天満宮」は通称「湯島天神」、旧称「湯島神社」と呼ばれ、古来より江戸・東京の代表的な天満宮である。学問の神様なので季節柄、合格祈願の参拝で賑わっていた。 神田駿河台先日行われた「お茶の水・日本一のスケッチ大会」に参加してみた。その時のスケッチです。 10月12日(日) お茶の水の文化スポットを描く〜日本一のスケッチ大会〜に、約1,000人の参加者(主催者発表)が集まりました。 スケッチ大会で描かれた作品は通りに一堂に並び、巨大ギャラリーが突如出現! 湯島聖堂・昌平坂![]() 2014.10.12 鉛筆・パステル・透明水彩 時間を掛けてじっくり描く方多数の参加なので、ちょっと大きい画用紙(四つ切り)で描いてみた。ふだん描かないサイズなので往生しっぱなしで段々絵の勢いはなくなるわ〜汚れてくるわ〜いい勉強をしました。 その後の”「文化と歴史の街・お茶の水を描く」100人展”に出展するため、額装したものははこちら「湯島聖堂・昌平坂」でご覧下さい。 100人展の中から二十数人を表彰(10/25)、更にその中から12人が選抜され「商店会・プチ展覧会」で展示されることになりました。(や)の作品も一週間限りで展示されました。 Mozilla, Chrome, Opera & I.E. に対応(20150123) |
|問合せ |
copyright©2004-2016 Capro All Rights Reserved
このサイトの掲載記事、図、音源などの無断転載を禁じます。著作権は《きまぐれスケッチ》《Capro》またはその情報提供者に帰属します。