このページにはJavaScriptが使用されています。

岩木山

かつて高岡(鷹岡)と呼ばれていた弘前城(現・弘前公園)から岩木山を望む  2010/4/23

弘前-2(明治から新たな町へ)


 現在の弘前市は、新幹線開通で賑わせている隣町・青森市と比較されてしまう。(2010年現在)

 しかし江戸時代は津軽氏が治める弘前藩の城下町として、明治時代には八甲田雪中行軍遭難で知られる第八師団が置かれた軍都として北の守りの重要な町であった。

map

弘前市内地図(赤マークはスケッチにリンクしています)
ここにマウスを乗せると風水思想による町造りが現れます

旧弘前市図書館【県重宝】 旧第五十九銀行本店本館【重文】 カトリック弘前教会 旧高谷家別邸(ライト風の住宅) 弘前キリスト教会【県重宝】 日本聖公会 弘前昇天教会【県重宝】 旧福島酒造 茂森会館消防署 紺屋町消防屯所

 戦後の日本ではどの都市も旧陸海軍のイメージは払拭され、ここ弘前でもかつての軍都の面影は見当たらない。しかし明治時代には早くから西洋文化を取り入れた様子がうかがわれ、まだあちこちに懐かしい建物が残されている。そんな町の明治・大正・昭和時代を生き抜いてきた建物を中心に、岩木山を見渡すベストポジションから見て回ることとする。


旧藤田家別邸洋館


sketch

 2010.4.23 鉛筆・透明水彩

 日本商工会議所会頭も務めた地元出身の実業家・藤田謙一が、この地に別邸として構えた洋館である。庭園は岩木山を借景とした高台にこの洋館のある洋風庭園と、崖地を挟んだ低地に回遊式日本庭園があり大規模な庭園となっている。
 八角形の塔が印象的な外観のこの洋館は大正10年(1921)築の木造2階建である(国登録有形文化財)。 内部は公開されていて、庭園に面した光り溢れるサンルームでは喫茶サービスもあり、大正ロマンとはこの様な雰囲気か、と思わせる。 設計は堀江佐吉の六男・金造、施工は長男・彦三郎である。

 堀江佐吉(1845-1907)は弘前藩の御用大工の家に生まれた棟梁で、青森で洋風建築を多く手掛け、また後進をよく育てたことから彼の弟子が多くの洋風建築を残している。以降、彼の名前が度々出でてくるので心に留めておいてほしい。

▲Back to Map

旧弘前市図書館


sketch

左:側面  右:正面  2010.4.25 鉛筆・透明水彩

 この建物は日露戦争(1904-1905)直後の明治39年(1906)に建てられた木造3階建の図書館で、堀江佐吉を初めとした弘前の建設業者が軍需景気に沸いた景気の還元として市に寄贈したものである。 設計・棟梁は堀江佐吉。
 八角形の双塔とドーム屋根、ドーマー窓、軒下蛇腹、玄関ポーチのペディメント・・・と、明治の時代に日本の一地方都市で洋風建築の要素を見事に取り入れている棟梁がいたことは驚きである。軍都としての施設造りに邁進し、洋式技術を貪欲なまでに吸収した努力があったからではあろうが。
 悲しいことに昭和6年(1931)以降は民間に払い下げ、移築されてから賃貸アパート・喫茶店等色々利用されたようだ、が平成元年(1989)にまた元の持ち主・弘前市に戻されている。そして平成2年の市制施行百周年記念事業として現在の場所に移築保存されている(県重宝)。

▲Back to Map

旧第五十九銀行本店本館 (青森銀行記念館)


sketch

2010.4.25 鉛筆・透明水彩

 この建物は明治37年(1904)に第五十九銀行本店として建てられたもので、外壁は一見コンクリート造のように見受けられるが木造2階建である。その外壁は瓦下地に漆喰仕上げ、縦長窓の外枠も漆喰塗りとして、銀行としての防火性能を考慮している。柱形は石造のように造られ、玄関まわりの張り出しやその上部のドーマ窓とも相まって、いたって重厚なルネッサンス風のファサードを造り出している。これほどの洋風意匠を凝らした建物がこの時代(日露戦争開戦の年)に一地方都市の日本人により造られているのである。設計は弘前の洋風建築の名匠・堀江佐吉である。
 昭和18年(1943)に県内5銀行が合併され青森銀行となると弘前支店として使用されたが、昭和40年(1965)に建て替え・取り壊しの計画が持ち上がり、市民の保存運動により現在地に曳屋され、青森銀行記念館として保存されたものである(国重文)。

▲Back to Map

弘前カトリック教会


sketch

 2010.4.25 鉛筆・透明水彩

 中央の尖塔が特に印象的な教会で、建物隅に立ち上げた装飾柱や正面丸窓を持つロマネスク様式のファサードを木造建築で造りだしている。金色に輝くイエズス会の標章「IHS」は Iesus Hominum Salvator「人類の救世主イエス」の頭文字である。
側面には縦長のステンドグラスが嵌め込まれていて、内部から見たらさぞかしきれいなものであろう。しかし隣地は保育園(幼稚園?)なので遠目からしか確認できなかったのが残念。
 この教会は明治8年(1875)に「弘前基督教会」としてパリ外国宣教会の宣教師によりカトリックの布教活動が始められたという。同時期にこの近くにもう一つの教会が設立されている。日本基督教団弘前教会というプロテスタントの(英米系)教会でキリスト教の世界戦略をこの地で争っているといったら言いすぎだろうか。
 現在の建物は明治43年(1910)に建てられたもので、設計はオージェ神父、棟梁は堀江佐吉の弟・横山常吉である。(県重宝)

▲Back to Map

旧高谷家別邸 (旧玄覧居・現翠明荘ライト倶楽部)


sketch

 2010.4.25 鉛筆・透明水彩

 弘前城築城当時の寺町(現・元寺町)を歩き回ってたらフランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)風の建物を見付けた。間口の広い建物である。しかも中には銅板葺きの入母屋造りの屋根も見え隠れする。あとで調べてみたら「翠明荘」という懐石料亭であった。 そしてこのライト風建築は料亭のフリースペースとして維持管理されているようである。

 この建物は戦前までは第五十九銀行第2代頭取を務めた高谷英城の別邸で昭和8年(1933)築、設計は堀江佐吉の長男である堀江彦三郎。 しかしそれは洋館だけのことで、奥に連なる「玄覧居」と称する日本家屋は明治28年(1895)に建てられ、材料の豪華さ、欄間を初めとした彫刻のすばらしさ、と凝った造りとなっているとのこと。 棟梁は堀江佐吉一族の堀江弥助である。
戦後、マンション計画で取り壊されるのを期に現在の料亭が買い取り、懐石料亭として使用するにあたり多分かなり手が加えられたことと思われるが、「ライト倶楽部」という名称を付ける程だから建物のよいところはそのまま上手に使用しているのだろう。
 日本に亡命したブルーノ・タウトは1935年の5月には同じ市内の木村研究所を訪れているからこの建物を目にしただろうか?彼の記述には残されていないが、見ていたらどんな言葉を残していっただろうか?

▲Back to Map

日本基督教団弘前教会礼拝堂


sketch

 2010.4.25 鉛筆・透明水彩

 弘前教会は明治8年(1875)に「弘前公会」の名で創設された東北地方最古のプロテスタント教会と言われている。プロテスタントと言っても各派あり、日本に教会を設立するに当たっては諸派分立の弊害を避けるために「日本基督公会」として統一の組織で明治6年(1873)頃から布教が始まっている。しかしメソジスト派の宣教師イング(John Ing)の影響もあり、翌9年(1876)には弘前美以教会と改名し、アメリカ・メソジスト派の教会に移行している。現在の日本キリスト教団弘前教会である
 現在の礼拝堂は明治39年(1906)に再建したもので、設計はクリスチャンで棟梁の桜庭駒五郎、施工は堀江組の長谷川金太郎である。建物は木造平屋建(1部2階建)だが組積造のゴシック建築に似せた形で、正面は左右対称の双塔、四角柱・付柱(ピラスター)・二段構えの控壁(バットレス)、開口部は尖塔アーチと、明治時代に建てられた数少ない木造ゴシック教会建築である。パリのノートルダム寺院のようだ。(県重宝)
 じつはこの前に建てられていた礼拝堂がある。設計施工は弘前屈指の大工・棟梁であった堀江佐吉によるもので、階高の高い木造平屋建て切妻造り、正面中央には四角錐の尖頭屋根を載せた高い塔が聳え、尖頭アーチの正面入口や側面の窓などフランス・ゴシック様式の礼拝堂であったという。明治30年(1897)に献堂式が行なわれたのだが6年後には隣家からの失火で焼失してしまった。

 メソジスト(Methodist)とは、18世紀、英国でジョン・ウェスレーによって興されたキリスト教の信仰覚醒運動の中核をなす主張であるメソジズム(Methodism)に生きた人々、および、その運動から発展したプロテスタント教会・教派に属する人々を指す。日本では美以教会とも言った。
 メソジスト運動は、本国英国ではさほどの勢力にはならなかったが、アイルランド、アメリカ、ドイツなどに早くから布教し、メソジスト教団は、現在アメリカでは信徒数が2番目に多いプロテスタント教団である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』抜粋

▲Back to Map

日本聖公会弘前昇天教会聖堂


sketch

 2010.4.25 鉛筆・透明水彩

 市内を流れる土淵川をちょっと上流に上っていくと川底も深くなり平坦地が少なくなってくる。川に沿って走る鉄道は大鰐と弘前を結ぶ弘南鉄道で、その終着駅「中央弘前駅」前にあるのがこの教会である。
 名前に「聖公会」とあるのでイギリス国教会の流れを汲む宗派だということが分かる。弘前では数少ない煉瓦造の教会で、力強いバットレス、尖塔状の鐘楼、正面のバラ窓がコンパクトに纏められている。

日本聖公会(英国国教会系)東北教区

弘前昇天教会聖堂のあらまし

この地に宣教が開始されたのは、明治29年(1896)で、現聖堂の建築は米人宣教師シャーリ・H・ニコルス司祭(後に京都教区主教)の下に、大正10年(1921)に行われた。設計者は、いま愛知県の明治村に遺る聖ヨハネ教会と同じく、米国人ジェームズ・M・ガーディナー(1857-1925)で、請負者は大工、林緑である。煉瓦造りの平屋建で、全体がゴシック様式にまとめられており、イギリス積み(イングリッシュ・ボンド)のレンガ、開口部廻りと控壁上の水切りに用いた石材などが建物の重厚さを出している。また内部のトラスから祭壇にいたるアンティックな空間が見事である。正面右寄り上部の三つ葉飾りのアーチにある鐘は、朝夕の祈りの時間に清澄な音で時を告げ、市民に親しまれている。

(市・説明板より)

▲Back to Map

旧福島酒造 (吉井酒造煉瓦倉庫)


sketch

2010.4.25 鉛筆・透明水彩

 大鰐線(弘南鉄道)辺りを歩いていたら突然大きな犬の彫刻に出くわした。この特徴ある形は最近もて囃されているポップアート作家 奈良 美智(なら よしとも、1959- )のものだが、そのバックにしている大きなレンガ倉庫が素晴らしい。度々展覧会場としても使われる建物のようだが本来は造り酒屋の工場だった。現在は酒造には使われていないが、イベント会場として大空間を活かして使われているようだ。

 このレンガ倉庫は弘前の酒造界近代化の先駆者福島藤助(ふくしまとうすけ・1871-1925)という人物により大正14年(1925)に建てられた。
 福島酒造は画期的醸造法により戦前は東北一の生産量を誇る酒造所で、現在の建物は2棟にすぎないが、当時は10棟にも及ぶという当時の日本でも数少ない巨大酒造メーカーだった。それを可能にしたのはこの地の近くにある「富田の清水(とみたのしっこ)で知られた良質な水が湧き出るからである。福島藤助は土淵川上流に水力発電所まで造り、冷却装置等の動力を自力で賄うことまでしている。

福島藤助(ふくしま-とうすけ・1871-1925)
明治-大正時代の実業家。
明治4年2月2日生まれ。青森県弘前(ひろさき)の人。大工から酒造業に転じる。速成醸造法と画期的といわれた四季醸造に成功し、大正11年福島醸造を創立。近代的工場生産により、東北・北海道で首位の生産量をほこった。大正14年7月6日死去。55歳。(引用:デジタル版 日本人名大辞典)

戦後は吉井酒造に引き継がれ、フランス人技術者を招き、日本で最初の林檎酒(シードル)を醸造している。大鰐・黒石というリンゴ産地をバックにして可能としたのだろう。
そのシードル・ヌーヴォ祭と称したイベント会場としてもこの倉庫は使われているようだ。

▲Back to Map

茂森会館消防署と正進会館


sketch

左:茂森会館消防署 右:正進会館 2010.4.23 鉛筆・透明水彩

 この消防署(茂森会館消防西第一分団)は昭和11年(1936)に建てられた木造2階建の建物。正面2階屋根には腰折屋根風の破風が設けられ、寄棟屋根上部中央には火の見櫓が設えられている。
 そして、右の建物は消防署の付属建物(例えば署員の仮眠室を兼ねたもの)と思っていた。洗濯物が無造作に干してあって若い男性たちの生活の臭いが漂っていたからである。しかしこの建物は、家に帰って調べてみたら地域の集会所だったばかりか、驚いたことに、歩兵第三十一連隊の将校集会所「正進会館」として明治時代に建築された建物だった。その後に茂森町青年会館として当地に移築され、現在では空手道場としても活用されているとのことだった。やっぱり男臭かったわけである。
 しかし移築までして明治の建物を現役で利用しているとは!うれしい話である。最近のエコポイントをつけて消費を煽っている今の風潮には見習ってほしい事例ではないだろうか。

▲Back to Map

紺屋町消防団屯所 (旧弘前市消防団西地区団第四分団消防屯所)


sketch

 2010.4.23 鉛筆・透明水彩

 弘前城の堀を巡って歩いていて遭遇した火の見櫓である。きれいな袴腰が屋根頂部に乗っている。おもてに回ってみるとセグメンタルペディメント(半円形櫛形破風)とモルタルで刳られたコーニス(蛇腹)が洋風のファサードを造っている。
昭和8年(1933)頃に、その当時の名士の寄付により建築されたものらしい。堀を廻る桜並木と共に洒落た建物として当時の桜祭りに添景を添えていたのではないだろうか。

▲Back to Map


△Back to Top

Mozilla, Chrome, Opera & I.E. に対応(20150123)


logo

|問合せ |
copyright©2004-2016 Capro All Rights Reserved
このサイトの掲載記事、図、音源などの無断転載を禁じます。著作権は《きまぐれスケッチ》《Capro》またはその情報提供者に帰属します。